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昔、美男を競い合う二人の男優がいて、フランスのアラン・ドロンとアメリカのロバート・レッドフォード、その二人が当時日本でも女性にもてる二大代名詞で、周りを見ると若い男たちはその二人の服装のどちらかに似せているようなところがあり、「つまらないな」と思って、こちらは新宿に住んでいて歌舞伎町に飲みに行くのにも下駄履きで「カランコロン」と行っていたことを思い出す。そのドロンが、決定打を打った洋服のコマーシャルがあって、「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.(ダーバン、それは現代の男のエレガンス)」というフランス語の響きが「魅力的」で随分と流行り、 … [続きを読む] |
大学に入るために東京に出てきた頃だからもう四十年ほども前になる。その頃つきあっていた彼女に自宅での夕ご飯に誘われた。自宅だから当然に家族とも会うことになり彼女のご両親と「対面」ということになるのだけれど、その頃はお互いにまだ未成年で何の配慮もなく「いいね」と軽い気持ちで出かけて行った。今はもう大都会の一角となった練馬のOというところは、駅から少し歩きその周りがまだ田園風景を残していて、「東京だけれど田舎だなぁ」と自分が四国の田舎から出てきたことは忘れて、その「郊外」を「批評」した。彼女の家は、貧乏学生には門構えも「立派」に思え、 … [続きを読む] |
龍馬伝も終わり、少しずつ今年の「熱狂」から遠のいて行く感じがするけれども、あの中で何度か龍馬に言わせていた「ニッポン!を違う考えのものが一緒に住める国にしたい」という言葉が残っている。どこかから「龍馬さんよ、それはちくと難しいのう。どうしても違う考えを許さん!という「違う」考えを持つもんはどーしてもおるきにのう。おまさんもそれにやられたんと違うかよ」と言う声が聞こえる。それでも、違う考えを持つものが昔からは少しずつ少しずつ死ななくてすむようにはなってきている、と思いたいけれども、現代はそうやって生き延びてきたものも一挙に死なせ … [続きを読む] |
小学2年生のKちゃんのパパは、「うちの子は学校で算数が弱いって言われたんですよ!(どうにかして下さい!)」と声を荒げた。Kちゃんが三桁の足し算や引き算を作法通りに苦もなくやっているところを見て、「弱いですか?」と聞くと、「担任の先生は特に数字がニガテだ、というんです」とフンガイしている。確かに、いきなり13は4と2となにの組み合わせ?とかこの三角形はなに三角形?と聞くと、答えに迷っている。何のことはなくて言われたことのないことに迷っているだけであり、「知らなかった」「見たことない」ことに遭遇しているだけで、そこで迷えば周りの人は、その子 … [続きを読む] |
教室に算数の勉強に来ている小学5年生のYちゃんと、いつも通り「さあ始めようか」と言ったとき、彼女の手元の紙に、カラフルな可愛いペン文字でなにやら和歌のようなものが書きつけてあるのに気がついた。「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」。「ほう」と思って聞いてみると、なにか学校で好きな子どもたちが、小倉百人一首を覚えて遊んでいるとのことで、自分が「高校生」の頃授業を機に友人たちと正月のかるた遊びをしようと暗記に興じたことがあって、それも遅いけれどもいまやまったく忘れてしまっていることを思い出して、Yちゃんに「 … [続きを読む] |
「都心から出発するとしても、どの方向に進んでも、木のおい茂った丘があり、常緑の植物や大きな木で縁どられたにこやかな谷間や木蔭の小道がある。しかも市内でさえも、とくに官庁街の城壁沿いの道路や、そこから田舎の方向に向って走っている多くの道路や並木道には、ひろびろとした緑の斜面とか、寺の庭園とか、樹木のよく茂った公園とかがあって、目を楽しませてくれる。このように、市内でも楽しむことのできるような都市はほかにない」 「江戸の独自性は都市が田園によって浸透されていることにあった」 「つまり江戸は、けっして「大きな村」なのではなかった。それ … [続きを読む] |
昔、帝国陸軍の職業軍人であった父親が戦後サラリーマンになって、私が小学生の頃で貧乏だったけれどもよく映画に連れて行ってくれた。しかも洋画が多くてアメリカ映画も多く、「元帝国軍人」が「ええのかなあ」と思ったかどうか、ともかく嬉しくて「駅馬車」や「アラモ」やとりわけジョン・ウエィン主演のものが多く記憶に残っている。「駅馬車」など今観なおしてみると、「差別」や「偏見」などと「無粋」なことにとらわれるのは別にして、「売りもの」だった「活劇」よりも、意外に主人公たちの会話と行動に見られるしっとりとした「思いやり」が「イイ」と「感心」して … [続きを読む] |
四十年以上前のことだからもう「時効」かと思うけれど、土佐での酒にまつわることを二つ思い出した。中学生の頃何か友人のところで祝い事があり、四人ほどが集まり友人の家で「飲み会」をやろうということになった。中学生のことなので当然お茶かジュースでお菓子を持ち寄ってワイワイ、ということだったと思うけれども。さあ始めようというとき、その家の友人の親父さんが出てきて「おう、よう来た。ちょっとまっちょりや」と言って、しばらくするとその親父さんなんと日本酒の一升瓶を持ってきて私たちの前の机の上にドンと置いた。私たちもそれには面食らって顔を見合わ … [続きを読む] |
四十数年前になるだろうか、小学校も最後の夏を過ぎて、いわゆる家庭の事情というやつで、生地の香川から同じ四国の高知へ転校した。まったく「土佐」というところは、温厚な「讃岐」の少年にとっては、「ガイな(強烈な)」ところで、毎日見るもの聞くことが驚きに満ちていて、半年の小学生生活でもゆうに「二年」はすごしたような気分になった。それほど、土佐は「面白いところ」で自分に「ふるさとは?」と聞かれるとそこで過ごした小、中、高校の七年間は、それこそ「キョーレツな」思い出のある「ふるさと」であることには間違いない、と言える。転校したその日だった … [続きを読む] |
哲学者鷲田清一著「京都の平熱」によると、京都人は「おうどん」が大好物で、それも讃岐うどんのように「腰」の強いものではなく、「舌でかんたんに切れるようなふにゃふにゃで、かつ「いきの構造」の九鬼周造のいう平行線の「いき」のごとく、「うどんは汁や具の中に混じっても、どこまでも(汁と染まらずに)うどんそのものとして味わわれるもの」がよいそうで、なにやらわかりそうでわからない京都の「おうどん」を近いうちに味わいにゆきたいと思っている。 しかしそれにしても、讃岐うどんというと「腰」うんぬんをみなさんおっしゃるけれども、讃岐では「腰」よりもつ … [続きを読む] |
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