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2009年06月15日(月) 
14日まで BankARTStudio NYK(横浜市中区海岸通)で行われていた「原口典之展~社会と物質」の最終日に行ってきた。
目的的に訪れたわけではない不遜な客として。
不遜な客ながらも、原口典之というひとが生み出してきた「軌跡」との邂逅を通して感じたことをここに書き残しておきたい。

何の予備知識もなく、がらんとした倉庫空間に置かれた作品群と対峙する。
見る/見られるという言葉では語れない圧倒的な存在感が確かにある。

しかしながら、代表作の「スカイホーク」「油のプール」光ケーブルのカバーを用いた巨大なゴム管(10トン)を手作業で刻んだ「ゴムの彫刻」などを、順々に見てくると「放置され、朽ち果てることもできず、忘れ去られるモノたちの哀しみ」が運河べりの倉庫いっぱいに、満ちているような感覚にとらわれる。


自然の循環のなかで、その流れを受け入れて生きていくしかなかった人間は、この300年にわたり、自然を支配し、略奪し、化石燃料を燃やし、大量にモノをつくり、消費し、そして廃棄するサイクルのなかで「豊か」になった。
時にはそのサイクルをより強固なものにするために、人のいのちを犠牲にしながら。

原口氏の作品は、そうしたわたしたちの長い長い「略奪の時代」の「墓標」のように思える。
地球上で、そのままでは分解されることのきわめて困難な物質群。
それらを生み出して豊かになった人間。
半永久的にそこにそのままあり続けるしかないモノたちが、静かに静かに「どこへいけばいいのだ」と私に問う。

過去の作品群の展示が主であった今回の企画を見て、私は「原口氏が”原子力発電所”を素材にしたら、どのような作品をつくるだろうか?」という問いを得た。

「安全である」といいながら、地下300メートルに「地層処分」されるガラス固化体を前にしたら、彼はどんな手法で、その哀しみを引き出すのだろうか?

また、「人道的兵器」とされる「クラスター爆弾」の「人道性」を彼ならどう提示するだろう?

「どこにもいくことのできないものたち」を生み出した人間の罪を、静謐のうちにも鮮やかに突きつける原口氏の作品群。

それらを目撃したわたしは、何をすればよいのか/どこからはじめればいいのか、途方に暮れる「場所」に立っていることに気づくのだ。

閲覧数5,059 カテゴリNote コメント4 投稿日時2009/06/15 06:32
公開範囲外部公開
コメント(4)
時系列表示返信表示日付順
  • 2009/06/15 11:21
    sugi-さん
    最終日の最後の時間に見ることができて良かったですね。
    次項有
  • 2009/06/15 15:31
    原口君と横須賀線などで一緒になることが
    無くなって、彼は如何しているかな?と想
    っていた所です。

    終わってしまったのは残念ですが、健在な
    ようで嬉しい。

    SNS繋がりも面白い成果?があるなとも想
    いました。
    次項有
  • 2009/06/16 17:54
    鉛筆hopeさん
    > sugi-さん
    教えていただき、ありがとうございました。
    全く知らないひとや自分では興味のないことでも、足を運べば必ずなにか発見はあるものですね。。
    次項有
  • 2009/06/16 17:58
    鉛筆hopeさん
    > 池田晴哉@湘南茅ヶ崎さん
    原口さんとお知り合いなのですか?
    ちょうどクロージングパーティーにも居合わせることができました。

    展覧会は、わたくしもほんの少し回っただけですが、運河沿いの倉庫であるNYKという場所が、作品の異物感(モノ感とでもいうのか・・)を引き立てていたような気がします。
    次項有
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