実は福山雅治ファンなので毎回正座して拝見しております!
でもでも上士がいばっているのを見ているとあの頃の土佐に産まれなくて良かったと思ってしまうのですが・・・・・
高松に2年住んでいたのですが結局土佐には行かずじまい。
今頃行っとけば良かったと後悔しちょります。
四十数年前になるだろうか、小学校も最後の夏を過ぎて、いわゆる家庭の事情というやつで、生地の香川から同じ四国の高知へ転校した。まったく「土佐」というところは、温厚な「讃岐」の少年にとっては、「ガイな(強烈な)」ところで、毎日見るもの聞くことが驚きに満ちていて、半年の小学生生活でもゆうに「二年」はすごしたような気分になった。それほど、土佐は「面白いところ」で自分に「ふるさとは?」と聞かれるとそこで過ごした小、中、高校の七年間は、それこそ「キョーレツな」思い出のある「ふるさと」であることには間違いない、と言える。転校したその日だったか、「異国」の転校生を前にふざけて暴れていた男子生徒に対して、ある女子生徒が「ほたえなや!」と一喝して、その場が静かになった。私は、彼女が何を言ったかわからずに傍の女の子にその意味を聞いたけれども、その子は笑って応えてくれなかった。それからその言葉の意味を知るまでには数カ月を要した、のを覚えている。この言葉、坂本龍馬が、京都近江屋で殺害される直前に発した言葉として知られているが、ふざけるな、騒ぐな、戯れるな、静かにしろなどの意味をごちゃまぜにしたような意味で、関西弁とも言うけれども、同じ関西の讃岐では聞いたことがなかった。言葉だけでなく、土佐というところは、四国の中でもまったく「異国」のような気がして、日々の刺激の中でイイこともワルイことも、教えてくれた土地の様な気がする。
さて「龍馬伝」が、始まっている。確かに、そんな「刺激的な」土佐にいても「江戸にいかんとはなしにならんきに」という気にはなって龍馬が上京してゆく気持ちは自分の昔を振り返ってみれば、よくわかる気がする。これから、この「青春物語」、どうなってゆくのか、皆もじっくりみとーせ(見てください)。 |