「おふくろさん」の歌詞の改作で森進一を叱っている川内康範は、私たちの世代では、「月光仮面」の原作者以外の何ものでもない。今から思うと「奇妙」としかいいようのないコスチュームで、白いバイクに乗りどこからともなく現れ、「どくろ仮面」や「マンモスコング」を相手に一人で闘う。途方もない筋書きなのだけれど、「まぼろし探偵」や「少年ジェット」、「鉄人28号」にしてもその筋書きは「非現実的」以外の何ものでもないが、子どもの「世界」はたちまち主人公たちと共に「現実的に」拡がる。「夢中」というのはそのことで、映画も芝居も生きている「現実」とは別(私は別とは思っていないけれども)に、何倍も「生きる世界」を拡げてくれるが、これがもしなかったらと思うと子どもの時代でも、大人の時代でも人生の何分の一しか「生きなかった」、ように思える。それほど子どもの時間も大人の時間も「心の世界」は同じ「重さ」を持っていて、拡がる「心の世界」がなければ、生きているとはいえない、くらいに思える...ところで、月光仮面(祝十郎)とその後の隠密剣士(秋草新太郎)役をやったあの大瀬康一氏が、横浜で家業のために俳優を辞め、現在に至っていることをWikipediaで識って、私たちの心を「拡げる」ためにどれほどのことをやったと思っているのか、縁があればぜひ一度聞いてみたいものだと思っている。
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