伊藤さんおもしろですよね。
一方で、日本国憲法は自衛権を否定しないという解釈は割と多いかも知れません。
集団的自衛権は自衛権なのか、という点については真っ二つに割れるところですが。
http://www.jicl.jp/jimukyoku/backnumber/20080505_02.html どんな顔をして、みなさんこのプロダクトを世に出したのでしょう。実はこういうセンスは好きだ。ブレスとかTシャツとかにしないところが好き。 この商品は、話題にしたのちに食ってしまうところ=消えてしまうところが奥ゆかしく、目立つのが気恥ずかしい、という層にはよいと思ふ。 わたくし的には、No9ももちろんですが、98、99の存在を各所に突きつけたい衝動によく、駆られますね、日々。 http://www.jicl.jp/kenpou_all/kenpou.html 伊藤真さんって、すごい人だったんだなあ。。。 しかし、遠い昔、大学2年ごろ、友と「自衛のために暴力」を使わざるを得ない状況が来たらどうするか?ということで、えんえん4時間近く渋谷駅東横改札口で議論をしたことがあった。。 わたしは、そういう状況から「逃げる」「そういう状況をつくらないように最善の努力をする」ということを繰り返したようにおもう。 基本的人権、という概念については、きちんと勉強していない。 だが、その議論をしていた相手は、宗教革命、市民革命など欧州の歴史のなかで、(それはさまざま粛清や暴力、争いの歴史でもあった)練り上げられていったこの概念が、そんな清らかなものではないことをわたくしに伝えようとした。 「自分のいのちを守るために、相手のいのちを奪わなければならないような状況」において、「暴力を行使することは基本的人権を守ることなの?どうなの?」という問いから「逃げる」のでなく、逃げられないところにいると思って「考え抜け」と言われたのだった。 自分の生存=基本的人権を守るために、相手の生存=基本的人権、を脅かさなければいけないことがありうるだろうと。 そのとき、相手を殺す、ということは、自分の生存=基本的人権、を守るために必要だとしたら、どうなの?と聞かれる。 さらに「相手を生かして、自分を殺させることは基本的人権を尊重してるの?してないの?」とか。 うーん、わかんないよ!! 「わたしは、そもそもそういうことには至らないようにするのだ」と強弁しても、そういう仮説を考えないのは「怠惰だ」といわれたり。 激しかったなぁ・・・・・。 でも、ずっとその議論は残っている。 (足がすげー、痛くなった・・・。道行くひとが不思議そうに見ていたなあ・・) 不幸にも「基本的人権」がせめぎあうことがある。 その問いの立て方がおかしい、とも言い切る根拠もないまま。 そこから先はガンジーの世界なのか? ダライ・ラマの世界なのか? いずれにせよ、自らを変える=宗教/哲学の分野に行ってしまうような気がする。 長きにわたり、思考停止中。 せんべいでも食うしかないではないか・・・。 ふー。 |