>prodigalさま
おお。
貴重な文書、ありがとうございます。
よろしいのですか?
エネルギーが伝わってきますね。
いままでにない組織をつくるということ
=自分ぢゃなければできない哲学をもった組織をつくるということ。
勉強になります。
Don't let me down … と、歌いたいきょうこのごろ…。 でも、エネルギーを持続させている人っているんだなあ。 http://ventureport.hama1.jp/e24089.html トモダチのprodigalさん力作のレポート。 われが働くビルの数階下にある起業支援組織「ベンチャーポート」さんが展開しているソーシャルアントレプレナー(社会起業家)セミナーのレポート。 なんどもグッときて、prodigalさんのブログにも感想を書いたが、次のところがいちばん好き。 >パートは雇わず、雇うなら正社員、アパートを借りて生 >活が出来るレベルに社会保険もかけて、使い捨ての労 >働は絶対しない。自分たちの報酬がゼロでも、と志は >高く持っていました。 >普通作らないと思うが、すんばらしいことが書いてある >設立趣意書を外部の誰かのためにではなく自分のためにつくった。 >現実は厳しいので、めげたり、ひよりたくなるときがある。 >例えば浄水器とか空気清浄機とか値の張る情緒的な >根拠の無いものや健康食品は売らない、バーゲンはし >ないとかいくつか決めたけど、苦しいときには迷う。 >そういうとき、なんでこの会社始めたんだっけ、といつも >ここにもどれるんです。 うう。 素敵だ。その「設立趣意書」みてみたい。 宮沢賢治のことを、見田宗介という社会学者が研究して書いた本「宮沢賢治~存在の祭りの中へ」(岩波文庫)のなかで次のような趣旨のことが書いてあった。(と思う) 雨ニモ負ケズ、のイメージが強い賢治は「自己を犠牲にする偉いヒト」ととらえられているけれど、ミタ氏は「自己犠牲も犠牲であるかぎり、抑圧を含んでいる。その抑圧の暗さを賢治は嗅ぎ取っていた」といったような感じの解釈をしている。 横山さんには、そんな自己犠牲の暗さ、は感じない。 崇高な目的はあるけれど「そのために他人も自分も犠牲にはしない」という強い意思がうかがえる。 稼ぐこと自体が決して目的ではないけれど、自分なりのベストを尽くして「自立」「持続」できる仕組みを目指さなければ、それは「貢献」や「歓び」から、他人や自分の「犠牲」に変質してしまう。 誰かが「割を食っている」と感じるとき、すでになにかが欺かれている。 さらに、自分が選んだことであって、覚悟していたとしても「自己犠牲」は幸福にはつながらん、ということを、賢治も感じていたとおもふ。 といういみで、このセミナーにこれから出てくる人たちはすごいとおもう。腹の据わった人たちばかりだ。 どうして、同じ作業をしたとしても、それがある時は「歓び」であったり、ある時は「犠牲」であったり感じるのかなー。 その違いはなんだろう。 そしてその違いに、組織体を経営するニンゲンはどうコミットできるのかな。 10月10日(水)の夜は、お会いしたかったネパリ・バザーロの土屋春代さん。 http://nbazaro.org/indexj.htm すでに申し込み済み。 いろんな疑問を抱えつつ、お話を聞くのが楽しみぢゃ。 |