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2007年10月03日(水) 
Don't let me down …

と、歌いたいきょうこのごろ…。

でも、エネルギーを持続させている人っているんだなあ。
http://ventureport.hama1.jp/e24089.html

トモダチのprodigalさん力作のレポート。

われが働くビルの数階下にある起業支援組織「ベンチャーポート」さんが展開しているソーシャルアントレプレナー(社会起業家)セミナーのレポート。
なんどもグッときて、prodigalさんのブログにも感想を書いたが、次のところがいちばん好き。

>パートは雇わず、雇うなら正社員、アパートを借りて生
>活が出来るレベルに社会保険もかけて、使い捨ての労
>働は絶対しない。自分たちの報酬がゼロでも、と志は
>高く持っていました。
>普通作らないと思うが、すんばらしいことが書いてある
>設立趣意書を外部の誰かのためにではなく自分のためにつくった。
>現実は厳しいので、めげたり、ひよりたくなるときがある。
>例えば浄水器とか空気清浄機とか値の張る情緒的な
>根拠の無いものや健康食品は売らない、バーゲンはし
>ないとかいくつか決めたけど、苦しいときには迷う。
>そういうとき、なんでこの会社始めたんだっけ、といつも
>ここにもどれるんです。

うう。
素敵だ。その「設立趣意書」みてみたい。

宮沢賢治のことを、見田宗介という社会学者が研究して書いた本「宮沢賢治~存在の祭りの中へ」(岩波文庫)のなかで次のような趣旨のことが書いてあった。(と思う)

雨ニモ負ケズ、のイメージが強い賢治は「自己を犠牲にする偉いヒト」ととらえられているけれど、ミタ氏は「自己犠牲も犠牲であるかぎり、抑圧を含んでいる。その抑圧の暗さを賢治は嗅ぎ取っていた」といったような感じの解釈をしている。


横山さんには、そんな自己犠牲の暗さ、は感じない。

崇高な目的はあるけれど「そのために他人も自分も犠牲にはしない」という強い意思がうかがえる。

稼ぐこと自体が決して目的ではないけれど、自分なりのベストを尽くして「自立」「持続」できる仕組みを目指さなければ、それは「貢献」や「歓び」から、他人や自分の「犠牲」に変質してしまう。


誰かが「割を食っている」と感じるとき、すでになにかが欺かれている。
さらに、自分が選んだことであって、覚悟していたとしても「自己犠牲」は幸福にはつながらん、ということを、賢治も感じていたとおもふ。



といういみで、このセミナーにこれから出てくる人たちはすごいとおもう。腹の据わった人たちばかりだ。

どうして、同じ作業をしたとしても、それがある時は「歓び」であったり、ある時は「犠牲」であったり感じるのかなー。
その違いはなんだろう。
そしてその違いに、組織体を経営するニンゲンはどうコミットできるのかな。


10月10日(水)の夜は、お会いしたかったネパリ・バザーロの土屋春代さん。
http://nbazaro.org/indexj.htm

すでに申し込み済み。
いろんな疑問を抱えつつ、お話を聞くのが楽しみぢゃ。











閲覧数6,930 カテゴリNote コメント2 投稿日時2007/10/03 22:04
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2007/10/05 13:06
    prodigalさん
    大変遅くなりましたが、設立趣意書です。ほんものは月桃紙に印刷されています。

    ワーカーズ・コレクティブ(株)エコネット企画<エコ アミューズ バオバブ>設立趣意書

     高度成長期、私たちは繁栄する工業社会のなかで、石油を軸にした技術革新、合理化によって、簡単便利で「快適」な生活を享受してきました。その結果、すべての価値が物量と金銭ではかられ、地域の小規模な生産やサービスが、重厚長大な産業に取って代わられ、生松のすみずみまで産業資本にコントロールされるなかで、人と人との関係は希薄になり、人々の健康がそこなわれ、大気や水といった生命の存在の前提となるものに至るまえ汚染しつくされ、とどまるところを知らない自然破壊は異常気象を引き起こし、第一次産業をさえ脅かしはじめています。

     そうした状況に対して、私たちは何をしてきたでしょうか?

     「環境問題」が言われはじめてから四半世紀もの時を費やし、ようやく多くの人々のうえに物質文明の終焉と、地球=人類の危機的状況が認識されはじめました。しかし、同時に、ここまで来てしまった巨大な産業社会を変革することの困難さも、認識されているのが実態なのではないでしょうか。

     次々に物を生産することによって成り立ってきた、余りにも大きな経済の仕組みの前では、私たち一人一人の力は余りにも非力に見えます。しかし、たとえ故意でなかったとしても、今日の状況をよくも悪くも支えてきたのは、私たち自身である、とすれば、このツケは私たち自身で払う以外にないのではないでしょうか。そして、オール オア ナッシングの発想ではなく、少しでもよい方向に向けて、一人一人が少しずつできることをするというのなら、そう難しいことではありません。もう一度、生産は私たちの圧倒的な“労働”と“消費”(そして、この二つの基本的行為によって成り立つ“生活”)とに支えられてきたという自明の事実に目を向けなおし、それゆえに、私たち一人一人がまさに問題解決のキーパーソンなのだということを、自分自身で選ぶ権利があるはずだからです。

     しかし、一方的は、質的転換の時代の入口で、迷い、たじろぎ、後ろめたさを感じながら、少しずつ、すこしずつ生き方を変えようとする人がふえてきています。また、早い時期から、こうした問題に気づいた人々による様々な運動、生活表現や問題提起、そして、市民、とりわけ女性たちによるワーカーズ・コレクティブや市民事業など、さまざまな試みは、産業構造の矛盾に対し、多くの問題を提起しつつ、具体的な価値を創出してきました。こうした人々との出会いに支えられて「労働者」と「消費者」=「生活者」というふたつの側面を持つ自分たち自身の自己表現の場として「ワーカーズ・コレクティブ(株)エコネット企画」を設立することになりました。

    …二つの側面の一つ「消費者」=「生活者」の視点からは…

     自分たち自身が、生活スタイルを変えるために本当に必要と考えたもの、地球環境や資源を考慮し、心を込めてつくられた「もの」を人々に提供していきます。また、そうした「もの」に込められた“価値”や“心”を、つくった人から使う人へと橋渡ししていきたいと考えます。

     そして、自然の一部としての人間が、本当の意味で豊かになっていくためのあくまでも考える素材としての「もの」をとおして、心あるおおぜいの人々と手をつなぎ、共にエコロジカルな生活スタイルの追求と、生活の質の転換をはかっていきます。

    …もう一つの側面「労働者」の視点からは…

     働くことが産業資本の利潤を増大することにつながってきた労働に対し、働いたことが自分たち自身の上に真の豊かさをもたらす労働へと転換をはかっていきます。そのことをとおして自分の人生=時間を、資本に売り渡すのでなく、自分自身でデザインし使い切るという、快適な(本来的な)働き方のひとつの形を提案していきます。そして、準備段階で支えてくれたおおぜいの仲間や、共感し会える人々とともに、英知を集め、かけがえのない地球を、そして、自然の一部としての「人間」を自らの手に取り戻すために「人」「もの」「情報」が行き交うキーステーションづくりをめざして、ささやかな一歩を踏み出します。

    ワーカーズ・コレクティブ (株)エコネット企画
    松山裕子 横山喜美枝

    1994年6月22日
    次項有
  • 2007/10/05 14:48
    鉛筆hopeさん
    >prodigalさま

    おお。
    貴重な文書、ありがとうございます。
    よろしいのですか?

    エネルギーが伝わってきますね。
    いままでにない組織をつくるということ
    =自分ぢゃなければできない哲学をもった組織をつくるということ。

    勉強になります。

    次項有
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