もう時間が経ってしまいましたが、12月14日にジャック&ベティで行われた「黄金町プロジェクト」の解散説明会に行ってきました。
(以下は、わたくし・hopeの超個人的感想であって、その日のプロジェクトメンバーのかたたちの言動とはまったく、一切関係ないことですのでご意見などがあればコメント欄にどうぞ)
始まりから終わりまで、すべての経過は報道ベースでしか知り得なかった「黄金町プロジェクト」の活動ですが、わたしはとってもいいなあ、と思っていました。
(伊勢佐木署を受け持ってサツ周りしていたので、チョンの間には摘発時におまわりさんとご一緒させていただいたこともあるなど、ガード下で売春がなされていた時期を知らないわけではありません、というか毎晩のようにあの周辺には出没していました・・・)
黄金町プロジェクトをいやだなあ、と思った人もいるかもしれませんね、もちろん。
でも、いいなあ、と思うひともいた、そのことを「いやだなあ」と思った人たちにも考えてもらいたいです。
わたしも「いやだなあ」と思う人の声も知りたいです。
クリエイティブシティには寛容、が最も大切ですから。
彼らの「志」の部分をきちんと建設的に、前向きに活用できないのでは、クリエイティブシティの看板が悲しいですから。
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黄金町プロジェクトはまったく別のお話を少し。
まちづくりのプロジェクトを考えるときに、いつも疑問があるのは、大学教授やコンサルがつねにあらかじめ準備されていて、そこに市民がのっかる、という構図です。
まあ、自治体としてみれば安心なのでしょうね。
某地方にいたとき、さまざまなまちづくりのプロのかたたち(大学教授や都市プランナーetc)と議論する機会がたびたびありました。
いつもかみ合わなかったのは、そのかたたちが常に「先生」になってしまっていることでした。
もう少しわかりやすくいうと「意見を言えないある権威」のような感じといえばいいでしょうか。
わたしは、実力がわからないうちから、先験的にそういうひとたちを「せんせい」と呼ぶのがとてもいやで、(当たり前ですけど)●●さん、と呼んではいやな顔をされていました。(^^)!
それはまだ小さいことでどうでもいいのですが、困ったのは、そうした方たちは、自分のまちづくり理論を現実にあてはめようとしたり、学生たちにフィールドワークさせたりする時間が、多くの市民からまちについての意見を聴く作業より優先しているようにみえたことです。
おおむね、商店街会長とか自治会長とかその周辺しか意見を聞いていませんでしたね。
で、プロジェクトを組み立てていく。で、かなりずれていく。
しかたないのでしょうか。
まちの住民にとっては、そのセンセイがどこから、なぜこのまちにきたのかが本当はわからない。
一体、このまちが好きなのか嫌いなのかさえ、知らない。
まして入札やプロポーザルに通ってそのプロジェクトをまかされたことなど、住民の側は良く知らない。
(これからは学習する必要がありますけれど)
その先生、である必然性について住民は、蚊帳の外でした。
そのセンセイを選ぶ段階で、まちの人間が関われるのならともかく、そんな仕組みにはなっていないわけです。
いつの間にか、××プロジェクトが始まっている。
税金がついて、いくつかのケースが進んでいくわけですけど、それがポイントをはずしている。
でも、そのセンセイの実績になっていく。
で、センセイは時期が過ぎると去っていく。
で、プロジェクトが終わったあと、まちの人間はそのセンセイを=プロジェクトを=評価することもできない。
わたしがまちづくりについてどっぷり情報を集めていた12、3年前とは異なり、いまは、住民がもっと主体的になって、プロを「使う」(←あえてこういう言い方します)ことができる、異なる手法が編み出されているのでしょうか。
ICTがなかった時代とある時代、まちづくりのプロセス、その手法も変わってくるはずです。
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もいちど、黄金町プロジェクト。
黄金町プロジェクトの場合、何の権威もなく、徒手空拳の3人が身を呈してまちをなんとかしようと試みた。
だから、すべての反響をフィルターなしに取り込んだと思います。
それがなんだ、ということだけど、行政の後ろ盾もなにもなく、まちに飛び込んでいったそのことは、まちにとっても本当は尊いのだと、ヨソモノのわたしは思ってしまいます。
権威のなさ、が尊いのだと。
そこに反射鏡のように地域は映し出されるのではないでしょうか。
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しかし最も、かの散開式にて感動したのは、彼ら3人への叱咤激励の来場者のコメントでした。
「手法に拙さはあった。はらはらしてみていた。でも一度の失敗で小さくなってほしくない。挑戦を続けてほしい。そうであるかぎり、助ける人はでてくるから」
自分自身にもとても響くいくつかの声に、思わず涙。
素敵なひとたちは確かにいるんだなあ、と久々に思えた時間でした。
その地域・組織・クラスターの内部にいては、発想できないことを発想してくれる人とどうつながるか?
それぞれが会話をしていける回路をどんなふうに組み立てていけるか?
つなぐこと、つなげること、簡単には可視化できない機能を担っているのは誰かを、メーンストリームの人間は気づくことができるのか?
もっというと、自治体内部の人間は優れたネットワーカーになっているか?ならなくていいのか?
で、同じ刃を自分に向けると、メディアの人間は優れたネットワーカーになっているか?ラクに話を聴ける、おなじみさんのところにばかり行っていないか?
寛容を基盤にして対話できたらいいのに。
寛容になれないのはなぜ?
なぜなんだろう。