日本でも、横浜でも最近、外国籍の人かな、と思われる人々が、いろいろなお店で働いていますね。そして、IT関連の企業でも、インドなどの技術者が。
観光で人口減少社会に対処しようという動きもありますが、生産年齢人口の減少を、こうした外国からの労働者を受け入れることで、少しでも防げるのではないでしょうか。
昔から、島国の日本人は海を渡ってくる人々に抵抗感があるようですが。
スウェーデンでは、難民および労働目的の移民を多く受け入れている。 日本ではネガティブなイメージがつきまとう「移民」を受け入れることについての説明はすごくシンプルだった。 移民=不安要素ではなく「将来の貴重な労働力」「新しい市場に参入する際に、情報やスキル・人脈などをもたらしてくれる存在」と捉えていること。 そして、そのための語学教育やその他の福祉はいわゆる”先行投資”だと考えられていること。 スウェーデンのある職業紹介所所長の言葉 「難民の中には、高いスキルを持った人も大勢いる。スウェーデン語教育に少し、プラスアルファの工夫をするだけで、そのスキルを生かせようになる。人材をゼロから育てる時間とカネを考えれば、結果的にコストは安いはず」 スウェーデン貿易省アドバイザーの言葉 「企業が新しい市場に参入する時、市場の特性や消費者の態度など、様々な情報を収集する必要がある。それには大きなコストがかかるが、既にそのような知識があり、問題解決に役立つ人脈も知っている移民を組織して、お互いに助け合えば、より安いコストで新たな市場に参入ができる」 これらを見る限り人道的援助なんてものは欠片も感じられず、「安いコストでその国に住む人にいかにメリットを届けられるか」という、超本質的な部分が突き詰められた結果として、「投資」と「回収」がデザインされシステム化されているように思える。 日本にはこういう「投資」感覚ってあるだろうか? 例えばY150の赤字のハナシを例にとってみる。 ・Y150に関わったボランティアをざっくり10万人として、 ・ひとりあたり2時間を「投資」してくれたと仮定して、 ・時間単価1000円として金額換算したら・・・2億円 (あくまで「仮定」なので、もっと時間かかってるぞー、とか、そんなに時給安いのかー、とか言わないでね) 赤字の25億をペイするには、12年ちょっとかかる計算ですが、その間に新たな「つながり」によって10万人が30万人くらいになったとしたら、さらに短くなる可能性が。 ・・・なーんて優しく考えてくれる人はきっといないんでしょうけどね。(笑) 「国家100年の計は教育にあり」と言われるのは、昔の人にとって教育は「コスト」ではなく「投資」だったから。 今は、教育とか子育てですら「コスト」扱いされてる気がする。 (もちろん無駄に使うのはいけないけど) 自分が「コスト」だって言われたら、そりゃあどんな子供だって歪むわ。 ある短い時間での「費用対効果」ではなく、100年後や150年を見据えた「投資対効果」の目線は、これからの時代に取り返さないといけないものかもしれないですね。 |