白妙日記のマスターこんにちは。
この日に「ゆりの花の店」で、殿と共にお目にかかりまして、その節は楽しいお話を有難うございました。
日記を拝見しましたら、ウェールズの方とご交流があるようですね。先々月、私もウェールズの方々のパーティに参加する機会があり、本物のウェールズ語を聞くことができました。
小さな国ニッポンには魅力がいっぱい詰まっているから、ウェールズのかたも、スコットランドのかたも、立ち止まりたくなるのでしょうか。
日本に生まれてよかったと思う わらわでござります。
ひめより
高校生になったばかりの頃だと思うけれども、「マセた」級友に薦められてクロード・ルルーシュ監督の「男と女」を観たときは、「鮮烈」だった。「男」と「女」のことなど爪の垢ほども理解していない「子ども心」に衝撃を受けたのだから、その映画はやはり当時自分にとっては、「凄かった」に違いない。その時から、映画は監督や俳優や筋書きや音や映像や、その他「数え切れない」要素で成り立っていて、またその時だけの巡り合わせ(幸運)で「出来上がった」のだということを感じるようになった、気がする。フランスとボサノバの出逢いやスピーディな車と理屈に合わない男と女の巡り逢いや、映画は複雑な人生を「切り取っている」ような気がするけれども、その「切り取られた」幸運なところに遭遇するだけでも、幸せな気分になれる。実は、この映画をさらに評価するようになったのは、「男と女2」が同じ顔ぶれで二十二年後に作られていて、たまたま録っていたビデオを何気なく観たときに、この映画が「前編と後編」で成り立っていて、二十二年をかけて観なければならない映画だったことを理解したときだった。クロード・ルルーシュは、「後編」でも引き続き、「男と女」はいつもそれぞれ孤独と隣り合わせに生きているけれども、幸運にも「巡り逢い」、そのときだけでも人は「幸せになれる」ことを描いている、ような気がする。
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