持続可能な人間生活に必要なものは 情報よりも、むしろ物語ではないか そう思い始めています。 電車の中でのtwitter、Facebookをやめ 本を読むようになりました。 最近読んだのは ドストエフスキー(木村浩訳)「白痴」 新潮文庫1970年初版。 レフ・ニコラエヴィチ公爵は精神障碍でスイス治療中に 両親を亡くした天涯孤独の青年。 病状が回復したことからロシアに帰国した。 公爵は人々から「白痴」とバカにされながらも その純粋さの故に 人々を魅了していく。 その中には、スキャンダルの中に生きるナスターシャ・フィリポヴナ 気位の高い良家の女性アグラーヤ・イワーノヴナもいて ついにはどちらが公爵の結婚相手となるか 直接対決にまで発展する。 その直前まで、公爵の心はアグラーヤにあるかと思われたが この期に及んで何もできなかったばかりか 逃げるアグラーヤを追いかけることもできず あまつさえ 倒れたナスターシャの介抱をしてしまう。 こうして結婚相手は決まったかに見えたが 公爵の純粋な心にアンビバレントな感情を抱き 克服できなかったナスターシャは 結婚式直前になって 元婚約者のロゴージンと逃げてしまう。 失われた結婚式の翌日 ふたりを追いかけた公爵は ナスターシャがロゴージンによって 殺されたことを知る。 ナスターシャの死体をまえに 公爵の病症が再発する。 ロックバンドKing Crimsonの作詞家Pete Sinfieldは この「白痴」にインスパイアされて 「21st Century Shizoid Man」の歌詞を書いたのではないだろうか。 「Nothing he's got , he really needs (真に望むものは得られない)」 というのは、まさに レフ・ニコラエヴィチ公爵の姿 そのものだからだ。 かつては小説家のお手本のように言われた ドストエフスキーも 今の視点から見れば こんなにもくどくどと自分のことを語る奴はおらんだろう と、言えそうだ。 それでも読者を引きつけて読ませてしまうのは さすが文豪ではある。 いくつかの場面は芝居にもなりそうだ。 |