書き込み数は2件です。 | ◀▶ |
教室に「国語」と「算数」を学習しに来ている小学1年生の女の子のMちゃんは、こちらが「間違い」を示唆すると「直ちに」理解をして、直したこと「以上」の内容を理解しようとする。別のところの「読みあわせ」をしていても、手は先ほど直した「漢字」の書き直しを同時にしている。その漢字は二年上のもので、苦にしないばかりかその複雑な書き順をむしろ「愉しんで」いる。子どもの頭の中には、「学習指導要領」のそれぞれの「学年別漢字配当表」などないことはいうまでもない。スポンジが水を吸い込むように自分に「触れた」知識のかけらを当然のように全身で「吸収」する … [続きを読む] |
中学生の頃の国語の先生はS先生で、新任独身で溌剌としていてまるで「二十四の瞳」の大石先生のような雰囲気で私たち「田舎の」生徒たちに「国語」や「文芸」を教えていた。乱暴な「悪がき」もその先生にだけは、「まともな」受け応えをしていたことを、思い出す。私はその頃、バレーボール部で忙しかったが、「初めて」自分の小遣いで夏目漱石の「三四郎」と国木田独歩の「武蔵野」二冊の文庫本を書店で買い、S先生の課題である読書感想文に「感想」を書いた。その頃から多少ヒネ始めていた私は、「三四郎」より「武蔵野」の方が味わいがあって好きだ、というようなことを書 … [続きを読む] |
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