教室に「国語」と「算数」を学習しに来ている小学1年生の女の子のMちゃんは、こちらが「間違い」を示唆すると「直ちに」理解をして、直したこと「以上」の内容を理解しようとする。別のところの「読みあわせ」をしていても、手は先ほど直した「漢字」の書き直しを同時にしている。その漢字は二年上のもので、苦にしないばかりかその複雑な書き順をむしろ「愉しんで」いる。子どもの頭の中には、「学習指導要領」のそれぞれの「学年別漢字配当表」などないことはいうまでもない。スポンジが水を吸い込むように自分に「触れた」知識のかけらを当然のように全身で「吸収」する。子どもとはそういうものか、と思っていたら、その子が目下「悩んで」いるのが「作文」だそうで、「何でもいいから書きなさい」と言われて「書けない」そうなので、今日「あったこと」「したこと」「思った(感じた)こと」を組み合わせてみたら、と言うとたちどころに、「作文」を作ってしまった。次に「起承転結」「序破急」などを「示唆」すれば、また「たちどころに応用」するのだろうかと、今から愉しみにしている。子どもは大人の「忘れもの」を「こだわりのない」振る舞いで思い出させてくれるところがある。これからの子どもの「振る舞い」のために幾つかのかたちのない「忘れもの」を思い出す必要があるかもしれない。「大人」はしばしば「かたちにすがって」生きていることでもあるし。
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