関東学院大ラグビー部の寂しいニュースを9日朝、知った。
90年にリーグ戦グループで初優勝したとき、釜利谷グラウンドで取材をしていた。
ラグビーは大学時代からよく見ていたので、個人的にも好きなスポーツだった。それだけに地元・横浜からワセダや明治と戦えるチームが出てきたことに、一ラグビーファンとして驚いたしうれしかった。
監督の春口廣さんは、日体大の出身であった。とても小柄なひとだ。160センチちょっとしかないかも。
つまり、俊足で華麗なワセダや重戦車・明治とは縁のない、ひとであった。
リーグ戦初Vの直後に釜利谷校舎にインタビューに行き、いまでも残っている言葉は「ラグビーは、どんなやつにでもポジションがあるスポーツだ」という言葉。
「チビでもデブでも、足が遅いやつも、そいつのよいところさえ伸ばせば、適しているポジションが用意されている。それがラグビー」と話していた。
だからこそ、選手たちの特性を見極め、最適なポジションで役割をちゃんと果たせるように、支援をしなければならないと話していた。
あれから17年かーー。
100人以上の部員を抱えてしまうと、はるぐちさんが最初に抱いていた「選手の個性にあったポジションで、力を伸ばす」ということ自体ができなくなってくる。
試合のできない選手たちの鬱屈、自分も輝きたいという思いをどんなふうに、かなえてあげられるのか。
これは、ほんとうは大学・高校スポーツの、特に名門校がかかえる大きな問題だと思っている。
ニュージーランドのラグビーチーム(オールブラックス級)のメンバーが、横浜市内の小学校で、タッチラグビーの指導をしたことがあって、それを取材したことがある。
そのとき彼らは「どんな子どもにも、ボールを触らせるプログラム」で、子どもたちにボールに触れる楽しさ、ボールを通して人とコミュニケートする喜びを経験させたい、と話していた。
だから、NZには、オールブラックスのような代表チームメンバーレベルがしのぎを削るリーグを頂点として、ラグビー好きの学生同士が戦うリーグなど、実力の程度に応じたリーグ戦が多種多様にあるという。
結局、試合が楽しいし、練習に耐えられるのも試合に勝つ喜び、自分の力を試す喜びがあるからでしょう。
けれども、そんなライブな瞬間が味わえない状態が続けば「つまらない毎日だな」と思ってしまうことだってあるでしょう。
だからといってもちろん、法に違反した人間を許せ、とはいわないが。
ただ、個人的な資質の問題ではないだろうな、と思うのであった。
薬物中毒や女性への暴力(わいせつ行為含む)が、なぜこんなに名門と言われるチームに次々におきるのか。
それは「チームのために、チームの勝利のために」といって、雑務をレギュラー以外の選手たちにやらせ、自己表現としてのスポーツを彼らから奪っているからだと思うなー。
今やりたいことを存分にやっていたら、つまらない、安っぽい快楽の方へ、自分をだめにし、人を傷つける方にはいかないと思うのだけれど。どうでしょう。
現場=ゲームの場=を作ってあげてほしいです、2軍、3軍、4軍の選手たちにも。
寮に泊り込んで、生活指導することぢゃなくてね。
どんな選手にも、試合の喜びを経験できる場を準備する。
そこは、周りのオトナのシゴトだとおもふ。
といういみで、はるぐちさんに広い視野で、頑張ってもらいたいと思う。
手紙書こ。。