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2008年01月10日(木) 
テレサ・テンが死んだとき私は香港にいた。仕事で打ち合わせ中に、小さなオフィスの人たちが、テレサの死を伝えるテレビのニュースを見て、騒然となった。そのとき打ち合わせは打ち切られた。それほど香港の人たちにとって、彼女の死は「大事件」だった。日本では、「つぐない」や「愛人」や「空港」などいわゆる「日本の歌謡曲」で人気を不動にしていたが、台湾生まれの彼女が、香港や中国本土で人気があるということは、微妙に、日本でのものと「異なる」ニュアンスを持つものであることを香港では感じていた。当時、テレサの歌は台湾と香港と中国を確かに「繋いでいた」気がする。その何年か後、「ラヴソング(甜密密)」というレオン・ライとマギー・チャン主演の映画で、テレサの歌と幸せな「再会」をした。BGMでふんだんに使われていた彼女の歌が、人と人の「出逢い」にいかに「ふさわしい」かを実感した。そして人と人が離れていくことも、その「出逢い」を一層大事に思わせることを、感じたものである。感傷的な「重さ」を、テレサは歌っている、と思う。
閲覧数4,419 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/01/10 16:47
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コメント(2)
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  • 2008/01/10 23:40
    テレサの後を継いだと言われている、中国のフェイ・ウォンもいい歌手でバラードでは「郷愁」を感じさせるのですが、テレサの「寂寥」のようなものは感じさせません。
    次項有
  • 2008/01/10 23:11
    テレサ・テン。31歳の私は幼少期に親父が遅ればせながらFFコロナに取り付けたカーステレオで毎日のようにかけまくっていたのを思い出します。
    「空港」という歌がが好きなのはまぎれもなく親父の影響ではありましたが、テレサが国家のはざまで大変な苦労をしていたのを知った時は既に彼女の死後でした。
    日本でも淡谷のり子や最近舞台化された渡辺はま子などがテレサとはやや性質は違えどもやはり苦労を背負って歌っていたのでしょうが、これらと比較してしまうと最近の日本のアーティストには本当の意味での「SOUL」が感じられるのがいないと思うのは私だけなのでしょうか?
    次項有
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