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2008年01月06日(日) 
中学生になったばかりの頃、「座頭市」と「眠狂四郎」の二本立てを映画館でやっていたので、学校の帰りだったか帰ってからだったか、観に行った。翌朝驚いた。学校の学年集会があって「中学生が一人で映画に行ったものがおる」と「生活指導」教師の「注意」のような話が皆の前であった。どうも私の話のようだった。それによると「座頭市は、身体(目)が不自由ながらも自ら困難を切り抜けて生きてゆく。これはよろしい。しかし、眠狂四郎(そのニヒリズム?)は見習わぬ方がよい。観に行ってはいかん」と訳のわからぬ「説明」をした。いうまでもなく「座頭市」は勝新太郎の、「狂四郎」は市川雷蔵の代表作といってもよく、いずれも当時の大映のトップスターであり、互いにライバルだった。特に雷蔵は揺るぎない人気があり「狂四郎」がダメだというのはどうしても納得がいかなかった。今推測すると、どうもこれでも生徒の「要職」にあった私(失礼)が、中学生として観るのには「狂四郎」はその「妖艶な」内容はまだ「はやい」、皆がマネをしてはいかん、ということではなかったかと思う。残念ながら人には「はやい」部分と「遅れている」部分がそれぞれにある。「遅れている」部分は努力をしたいと思うが、人によっては「はやい」部分は見逃してくれることもまた必要ではないか、と勝手に思ったものだ。バランスも大事だが、大人になってからではもう「遅い」。ところで、「座頭市」と「狂四郎」はいまだにリメイクを続け、競い合っているが、私にとってはこの二人は勝新と雷蔵しかいない。そしてこの二人はもういない。
閲覧数2,259 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/01/06 14:33
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