先日長女が結婚をし、新婚旅行のモロッコから「サハラ」の砂を持ち帰ってくれた。それは思ったより細かくて、そのまま「砂時計」に使えそうな「砂」だった。砂漠の砂が美しい映画で今でも忘れられないのは「アラビアのロレンス」と「イングリッシュ・ペイシェント」だが、いずれもアメリカ映画でいわゆる「欧米人」が「砂漠」に近づく様子を描いているが、同じ近づくにしても「シェルタリング・スカイ」ではもっと「近づいて」いて、砂漠に「のめりこんで」いく「悪夢」を描いている。遠く日本から、砂漠を「美しいもの」と「想う」と同時に、「妖しさ」を想わないではいられないけれども、砂漠だけでなく「海」の底も美しい魅力に満ちていて、同時に毒をもつ海藻が私たちを「引き込む」ことには変わりがない。そして、砂漠も海のようにひとときとして形を変えないときはなく、その表面は「波うち」果てしなく拡がる。そういえば、もうひとつ「モロッコ」という映画。ヒロインが、男を追って「裸足」で砂漠に「踏み出して」ゆくラストシーン。「最初の何歩か」は、意外に柔らかい砂が「心地よい」に違いないだろうけれども...
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