古本屋で古い本の背中を眺めていると、確かに「古い」ことが書かれていて「懐かしい」ことが多く思い出されて一種「幸せ」を感じるけれども、新刊本が並ぶ大きい書店で新しい本だけの背中を眺めていても「懐かしい」本はあって、その本が自分の「過去」に関わることと繋ぎ合わされると、古本屋にいるような「懐かしい」気分にさせられる。「古い」ことはもう動かしようのない「過去」のことであり、動かない「過去」が確かに自分を「懐かしく」させて、「現在」起こっていることや「未来」に起こりそうなことが自分を「不安」にさせるのに比べて、気分が「落ち着く」ということは「あたり前のこと」だろうか。しかし、誰だったか、人の心の中では「過去」、「現在」、「未来」の「順番」などなくて、それぞれが「同時に」その人にそれぞれの「重み」をもって「迫って」くる、そこには「前後」とか「軽重」とかはない筈だ、というようなことを聞いたことがあって、自分では概ね賛成している。そうすると、不思議に心の「拡がり」が自由になって、「過去」のことも「現在」や「未来」のことも、同じように「愉しめ」て、なにもかも味わおうとすることで忙しい身となるけれども、人生を何倍も生きるような気がして、うれしくなる。横浜でも少なくなる古本屋を訪ねるたびに、そう思って自分を納得させているのだけれども...
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