中学生の頃、四国の片田舎でもベンチャーズや加山雄三の影響でエレキギターが流行り始めて、学校でもバンドを組む先輩や同級生が出始め、学校の先生たちは「エレキを聞くとバカになる、不良になる」ということを真顔で言って、生徒たちを「脅して」いたことを思い出す。ギターがあんな音を出すということも「驚愕」だったけれども、その音と音に乗せて歌われる歌がそれまで聞いたこともない「サウンド」で私たち「こども」や「しろうと」をびっくりさせ続けて、今日に至っていることも、よく考えてみれば「大変な」ことに違いない。その「大変な」ことに「貢献」し続けたのは、ベンチャーズや加山雄三やビートルズやローリングストーンズやクラプトンで、今や音楽史の「優等生たち」かもしれないけれども、その頃彼らも彼らを好んだ私たちも「不良」の世界に片足を入れて「エツに」いっていたような、気がする。中でもビートルズに比べてストーンズや日本でいえばキャロルの「永ちゃん」なども「不良」の「仲間」で、どうしてこんなに長く「広く活躍」し続けるのかと思ってしまうけれども、彼らの強い「力」もあるけれど彼らを「持ち上げ続ける」力もある筈で、実はその力のほうが「不良」であろうが「優等生」であろうがいつでも「煽てたり」「捨てたり」して怖いような気がするのも、いつも精神的には「不良」と背中合わせに過ごしてきたことの「実感」ではある。まことに「人はよいこともしながら悪いこともして生きている」という鬼平の言葉を俟たずして、「主役」も「観客」もその「約束事」を暗黙裡に諒解しながら「共感」をしている、気がする。そういえば、ストーンズの映画が来ていた。いつ観ようかな。
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