昨日あるところで知り合った人に、「お仕事はどちらの業界ですか」と尋ねたところ、その人は少し口ごもって、「ええ、フツーの業界です」と応えた。聞けば聞くほど面白い応えかたがあるものだと、今でも反芻している。おそらく言いたくなかったのだろうが、そう応えられて納得することを期待されているようで、むろんそれ以上は聞かなかったけれども、「フツー」だから気にしないでくれと言われて妙に納得しそうになるほど、近頃「フツー」でないことがいつも期待され、その方がむしろ「評価」される場合もあるのが、「フツー」なのかも知れない。確かに、いいことでも悪いことでも「フツー」でないことをするのは、エネルギーが要ることで、そうすることで何か自分に「対価」がもらえるのかも知れないが、「フツー」のことを「フツー」にやることの難しさは「人間である」ということだけで「納得」できるし、それ以上はない、などと思ってみる。年が過ぎてゆき、「フツー」だと思っている人たちが、「フツー」ないことを目指す人たちのイベントを見ながら、「フツー」に暮らしていく。それがいちばん「穏やかな」いい生活だと思えるほど、近頃は身の回りが「フツー」ではない。
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