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2009年08月20日(木) 
トゥーランドット09を終えて

雑感

「人に迷惑をかけてはいけません」

ご家庭や学校で繰り返し繰り返し刷り込まれてきたであろう訓辞は果たして正しいのだろうか?私は最果ての地、宗谷岬の風を浴びながらこんな事を考えていた。

「人に迷惑をかけてはいけません」

確かに正しい。正しく聞こえる。万人が否と唱えにくい標語だろう。私はこの標語が流布している証左を至る所で感じる。結果、苛立たしい現場の中で感じるのである。

私は「人は迷惑を掛け合う物」だと思っている。多かれ少なかれ人は人に迷惑をかけながら生きなくてはならない。なるほど自制としては「人に迷惑をかけてはいけません」は効力がある標語なのだろう。しかし幼い頃からこれを刷り込まれてはとんでもない物を失い続ける、と言う確信に近い物がある。

人は互いに迷惑を掛け合う物なのだ。

日常にこれほど携帯が流布し、メールが一般化した今、恒常的に端末には「迷惑メール」が届く。業者も商売である。100に1つの確率で物やサービスが売れるのであれば万というメールを打つのは必定である。それこそ資本主義である。けれどそれを受ける側の大多数はそれを迷惑と感じる。どんなにフィルターをかけても届いてくるむやみなメール。それを完全に遮断する方法はたった一つしかない。

携帯を持たないことである。

端末さえ持たなければ攻撃的なプッシングメールはきようもない。しかし現代ではそれはコミュニケーションを遮断するに等しい。

学校、職場、市民活動。パブリックな場で迷惑メールを拒むことは、等しくデスコミをコミュニケーションの一手段として取り入れると言うことだ。

「人に迷惑をかけてない」ことはいつしか「人は人、自分は自分」という自己防衛の手段に容易に変貌していく。それが若者にまで蔓延している実感を得てから3年がたった。

私はいつでも思う。それは若者の責任ではない。若者は必死に鏡合わせをしているのだ。若者に未来を託すには、若者に見られている私たちが何をしているか?それこそが問題なのだと。

と同時に若者には自分で何かを得る、切り開く、挑戦する権利があることを取り戻してもらいたい。「人に迷惑をかけてない」が「人は人、自分は自分」にすり替わり、他者との関わりを紡ぎ個人では出来ない大きな事を成せることすらわからなくなった若者に「人に迷惑をかけなければ出来ない素晴らしいこと」を取り戻してもらいたい。

握った拳で物が掴めるのはドラえもんだけである。私たちはドラえもんでない。所詮はのび太である。握った拳は人を殴ることだけが得意だが、拳を開けばそれは手になる。開いた手を使えば人間は月にも行けてしまった。握った拳では人はハグできないのだよ。ハグできないだけでも考えようによっては「迷惑」なのだ。であるなら人に迷惑をかけないことなど不可能のだと言うことを知ってもらいたい。それなら拳を開けば良いではないか。拳を手にすれば少なくともシェイクハンドが出来るぞ。シェイクハンドが出来ればお互いを見つめ合う土俵に乗ることが出来る。

シェイクスピアの「マクベス」で魔女は言った。「綺麗は汚い、汚いは綺麗」

真逆こそ真なり

世の中に絶対の真理などない。一つの真理があれば必ず真逆に同じ質量を持った真理がある。

私はいつでも思う。資本主義にしろ、社会主義にしろ、世の中のほとんどのことは誰かが得をする為に作られていると。パブリックサービスなる言葉すら10年前にはなかった。自然界には2:8の法則という物があるそうだ。全体の2割が全体の8割の資産を確保し、全体の8割が全体の2割の資産を分け合っている。演劇と同じように人間同士が営む物に完成はない。民主主義であろうが資本主義であろうがそれは大きな流れの過渡期の一形態なのだ。今の世界が永遠に続く真理ではないことがわかれば若者がまずしなければならないことは「真逆にも可能性がある」事に気づくことなのだ。

それはほぼ「デジタル」ではないことは断言が出来る。1+1=2が正しいのだろうか?1+1=2だからこそ為し得る物はある。たくさんある。でもそうでなくとも為し得る物だってたくさんあるのだ。

言いなりになるな、と私は言いたい。
自分で考えろ、と私は言いたい。
人に求めろ、と私は言いたい。
七転八倒しろ、と私は言いたい。
そこが世界だ、そこで飛べ、と私は言いたい。

私の師、寺山修司は60年代70年代に若者にこうアジった。

「書を捨てよ、町へ出よう」

書は私、町は人だ。答えは町にある、人にある。世界にあるのだ。そんなみみっちい横浜の中で何をしているのだ。函館の先には日本の最北端があったぞ。その先にはサハリンが見えたぞ。そこに行くフェリーに乗るにはパスポートが必要で、たかだか2.3時間でロシアに行けたぞ。内陸まで行ってシベリア鉄道に乗り継げば数日後にはモスクワだ。南下すればヨーロッパのどこにだって行ける。

函館には同じ若者がいただろう。神戸にも新潟にもいただろう。本当は長崎にもいたんだよ。ならサハリンにも、モスクワにも、サンクトペテルブルクにも、ベルリンにも、ブカレストにも、キエフにも、パリにも、ロンドンにも同じ若者がいるだろうよ。

さあ、発見せよ、そして、発明せよ!世界は君たちを両手を広げて待っているぞ!あとは君の手が拳なのか広げた手なのか?

トゥーランドットという戯曲のテーマは何か?まだ「愛」だなんて思っていないか?テーマは「愛」ではないぞ!

答えは戯曲の中に沈んでいる。
答えは為し得た事実の中にある。

答えは他者の中にある。今が過去の集積ならば、未来は今の集積だ。さあ、発見せよ、そして、発明せよ!

人は思ったとおりになるのだ、良くも悪くも。ならば世界は君の思い次第だ。私はそう思ってトゥーランドットを続けてきた。ならば君たちもそう思え。世界は君の思ったとおりになるのだ、良くも悪くも。

それを続けた人間が2割を超えれば世界の8割を変えるられるのだそうだ。何とも壮大ではないか。何ともわくわくするではないか。

私は皆にそんなどきどきする思いを抱き続ける人になってもらいたい。

舞台芸術家として私が出来る精一杯がトゥーランドットです。

皆さん、お疲れ様でした。

閲覧数2,339 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/08/20 04:43
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