元旦の翌日夜に、桜木町から野毛を抜けて大岡川沿いに伊勢佐木町へと歩いた。静かだった元旦から少しずつ街が「目覚めて」来ているのを感じた。それにしても、光の多い表通りではなく「裏道」を何気なく選んで歩いていて、寂しさ感じるよりも「心地よかった」のはなぜだろうか。別に悪いことをして後ろめたいことがある訳でもない。足元は明るいのでもなく、人通りがなく、ただ離れている街灯が行く先を教えてくれるだけの小径を歩いていて、満足してしまうのは喜んでいいものか...物陰から野良犬や野良猫がひょいと飛び出せば静寂が破られるということになるのだけれども、それもない。犬や猫の代わりに狭い暗がりを歩いて、自分の吐く息の音だけが聞こえるような「生きもの」には、その静けさや暗くて狭い小径が、そのときには「ふさわしい」ものだったかもしれない。これもひとつの「発見」?
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