雪を観ると、京都を思い出すのはなぜだろうか。京都の「良さ」は、雪の降る冬や春にとどまらず、夏や秋にもそれぞれに「風情」があるのに、ずっと昔に見た、雪に埋もれる金閣寺の絵葉書が、未だに私を「捕らえて」いるのかも知れない。京都を愛した川口松太郎の「古都憂愁」を読んで、友人たちと連れだって祇園を「覗き」に行ったのが三年前で、街も人も「芸」と「術」で彩られた空間を愉しんだ。溝口健二が監督した映画「祇園囃子」も川口松太郎の原作だがこの古都の美しい「うらおもて」を描いていて、確かに「日本」の人間がいて、日本はこの古都を「失ってはならない」と思った。「失ってはならない」街はどこにでもある筈なのに、私たちは案外気軽に街を造り替えていて、今いる「自分が大事」なのは解るけれども、「残してくれた」のか「ただ残った」のか知らないが、目の前に残っている昔からの「風情」は、私たちを得がたい幸福に誘う。変わってゆく横浜で、羽毛のように舞っている雪を観ながら「古い」ことを想った。
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