本来は「読了本」コミュに書き込むべきものかもしれないが、ブログにエントリ。 本日のタイトルは、MJのキャッチコピーでいただくことにする。 決めた! この言葉は「フューチャリスト宣言」(梅田望夫/茂木健一郎共著・ちくま新書)より。 基本的に対談なので1時間ちょっとで読了。 しかし213ページの新書で付箋が25箇所。多い…。 ほとんど今回、批判すべきものはない。わたしにとって。 茂木さんのラジカルさに、覚悟に、かなり惚れてしまった。 さらされなければ成長できない。 「SNSはweb1.0だ」と生き急ぐ?茂木さんに、「そんなに厳しくなくても」と、諭す梅田さんのやりとりが楽しい。 キーワード/セレンディピティ、フリー 茂木さんに習って、ブログを外部公開にしてみた。まー、2ちゃんねるにmixiのプロフィールがすでにコピペされてるので失うものないし、いいやーーー。 情報はコピーされてこそ、流通してこそ価値を持つ、というし。 この本を読んで、新聞社が解体する姿がはっきりと見えた。 ネットでコンテンツを囲い込むことは無意味であるから。テキスト情報が主体である新聞社は、ウエブの最もよい部分を生かすとすれば、「閉じて稼ぐ」ことはきっぱりあきらめなければならない。 問題は、コンテンツの流通(複製)が自由で、閲覧はもちろん無料であるという前提で、どこからお金を得るかということ。 (永遠の課題) さらにいうと、マチネタはありとあらゆるブログに融解していき、そこでユーザーはそのようなマチネタ情報を得られるとしても、「隠されている/隠そうとしている情報」をだれが、時間・金銭的コストを負担して、隠しているところから暴いてくるかという問題に集約される。 いままでは、一応は、新聞社がその役割をそれなりに担う、という物語があったのだが。 (本当に担っていたかどうかはまた別の話…) 新聞社がなくなると仮定すると、どのような体制でだれがコストを負担して「手間ヒマかかる/嫌われる取材」をやっていくのかということが、問題だ。 取材対象に嫌われ、あしざまに言われつつも聞かなければいけないことを、どのように聞き、言葉を得て事実を確認して、オフライン情報をオンラインにするか。 テーマ設定は、現在においても、ユーザーの方々のほうが気が利いているから、それほど心配していない。 問題は専従にちかいライター/ブロガーをどうネットワークして、チームで動き、クオリティに見合った報酬を確保するか、だなーー。 現在でもフリーで活躍されているプロのライターはいらっしゃいますが、無料で集めた情報をネット上でどうぞ、という状態にはなっていない。 メシの種、ですから。 以前、梅田氏はウェブ人間論 (新潮社、梅田 望夫 平野 啓一郎著)では、もうパッケージとデザインで有料/無料を区別するしかないと主張されていたように、ぼんやりと覚えているが。 パッケージなんだろうなーー。 しかしながら、割の合わない取材を、新聞社がなくなったあと、どのようなネットメディアが、どんなビジネスモデルでやっていくのか。。 難問だ。ううーん。 それとも、そんな媒体は必要とされてない? この本的にいうと、それもやはり「割の合わない取材やテーマ」が好きで好きでたまらず(そんなヤツはいるのか?)、始終そのことだけを考えているような変な人がまず、やるしかないし、やってしまっているのだろうなぁ…。 「フューチャリスト宣言」は、しかし、わたくしに新しい世界への覚悟をさせてくれました。 感謝! とにかく考え、想像すること。楽観的に。 |