エクスカーション墨田コース 雨水ネットワーク全国大会が8月5~7日、東京都市大学二子玉川夢キャンパスで開かれ(雨水ネットワーク主催)、最終日の7日には二子玉川、等々力(とどろき)渓谷など4か所でエクスカーションが行われました。このうち墨田コースにおじゃましました。 エクスカーションは墨田区の北部、隅田川と荒川に挟まれた地域の西部です。東京大空襲で焼け残ったことから、木造家屋と消防車も入れないような狭い路地がたくさん残されています。東京都の防災まちづくりをきっかけに地域での雨水利用が始まりました。
集合した東武鉄道東向島駅周辺は、かつての玉ノ井、永井荷風の小説「墨東奇譚」の舞台となったところです。現在は駅の高架下に東武の鉄道博物館があります。ちなみに「向島(むこうじま)」の地名の語源は、京都の向日町(むこうまち)と同じで、浅草から見て「むこうにある」というものです。
駅から西へ歩いて10分余りで、向島百花園に着きます。隣接する公園には「ここは海抜-1.0m」の表示。向島地区の南には本所があり、江東区があり、お台場がありと、東京湾は遙か彼方ですが、向島地区は「海抜ゼロメートル地帯」。これが、墨田区では雨を地下に浸透させるのではなく、タンクに貯める要因となりました。
向島百花園は、江戸時代に文人たちが季節の草花を植えて風流を楽しんだ「元祖和風ビオトープ」。当時は浅草から舟で乗りつけたとも言われていますが、現在は土地に囲まれ、都立公園として東京都に管理されています。園内の売店にも雨水タンクがありますが、園内に入ると入園料を取られるため、今回は門前で記念撮影をするにとどめました。
百花園から歩いて5分ほどのところに「絵古(えこ)路地(路地尊4号基)」があります。地下に10トンの雨水を貯め、手押しポンプで汲み上げます。電気ポンプを使わないのは大規模災害で停電したときの備えです。名前にエコとついているのは資源ごみの集積場を兼ねているからで、現在も地域の子ども会によって使われています。
「路地尊(ろじそん)」2~6号基は、今から20年前に住民参加による防災まちづくりで発明された雨水利用システムです。防火用水(初期消火)や大規模災害時の生活用水、日常の庭木の水遣り(節水)などに使われるのを目的としています。酸性雨、空や屋根の汚れは降り始めに落ちてくることから、初期雨水カット装置が付いています。このため、ポンプを押せば無色透明の水が出てきます。
白髭神社は、墨田区の古刹。ここでも社務所の軒先に雨水タンクがありました。白髭神社のほかにも、雨水を貯めてお墓のお参りに使っているお寺など、墨田区にはいくつもあります。
平らな地形の墨田区ですが、白髭神社の隣を通る道へ出るには階段を登ります。というのも、この道路はかつての堤防の跡(旧墨堤)だからです。道が湾曲していて、かつての隅田川が蛇行していた痕跡をとどめています。現在は旧墨堤からスーパー堤防がひろがり、新しい墨堤通りやその向こうに首都高速道路が走っているので、隅田川は姿も形も見えません。一方、旧墨堤の道の先にはスカイツリーが見えます。
旧墨堤から墨田区唯一の坂、地蔵坂を下り(ほとんど平地)、第一寺島小学校へ向かう途中のポケットパークにも雨水タンクが設置されていました。このポケットパークは防災まちづくりが終了してかなりたってから整備されたため、雨水タンクも路地尊ではなく、市販の20リットルタンク2基が使われていました。
第一寺島小学校の角を西へ曲がり、100m進むと、住宅密集地の中に突然、広場が現れます。工場跡を利用した一言集会所(路地尊6号基)の庭です。6号基は貯水量20トン。集会所のトイレにも雨水が使われています。「一言」の名前は、かつての防災まちづくりが第一寺島小学校と言問小学校の学区を対象として行われ、この集会所が2つの小学校を結ぶ道路(未完)に沿ってあることに由来しています。大規模災害時には、地域の人たちが集会所に避難してくることを想定しています。
広場の片隅に、天水桶をモチーフにした路地尊のモニュメントが新しく置かれていました。かつて銭湯に設置された路地尊1号基です。1号基では雨水利用の構想はまだなく、切妻型の防災掲示板の下に消火ホースと箒・ちりとりの収納庫がありました。銭湯が廃業したため、1号基は「広場」で余生を過ごすことになりました。 (つづきはこちら) http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=63347
|