中学の頃は部活(バレーボール)で死ぬほど練習をし、高校受験が控えていて睡眠は3、4時間で、部活も勉強もなんとかこなし、やっと入ったT高では、友人のM君に愕然とした覚えがある。背の高い医者の息子のM君は、高校生なのに社会人の彼女がいて、ギターをよくし、美術部の部長だった。当時流行っていたPPM(ピーター、ポール&マリー)の「パフ(だったか?)」を弾いて、美術部の発表会の話などをしていた。進学校だったが、M君とは勉強の話など一度もしたことはなかった。けれども、彼はいつも「悪くはない」位置にいて、大学受験の心配などなさそうだった。親と同じように「医者にでも」なるのだろうか、と思ったものだ。そのとき、彼などとはなにもかも「スタート点」が「違っている」ことを感じた。「平等」という言葉を大学に入って覚えたけれども、「実感」がなく、かえって「違い」を知ることが、「平等」に「近づく」ような気がしたものだ。「いろいろなもの」が「ひとつにまとまる」ようになると「不自由」を感じ始め、以前いた東京よりも横浜に「いろいろなもの」を「自由に」見つけて愉しみたいと思っているのだけれども。
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