書き込み数は5件です。 | ◀▶ |
高校生になったばかりの頃だと思うけれども、「マセた」級友に薦められてクロード・ルルーシュ監督の「男と女」を観たときは、「鮮烈」だった。「男」と「女」のことなど爪の垢ほども理解していない「子ども心」に衝撃を受けたのだから、その映画はやはり当時自分にとっては、「凄かった」に違いない。その時から、映画は監督や俳優や筋書きや音や映像や、その他「数え切れない」要素で成り立っていて、またその時だけの巡り合わせ(幸運)で「出来上がった」のだということを感じるようになった、気がする。フランスとボサノバの出逢いやスピーディな車と理屈に合わない男 … [続きを読む] |
池波正太郎の代表作は、いわゆる「真田もの」を別にすれば、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「藤枝梅安」の三シリーズだろうけれども、サラリーマンをやっている頃「人」のマネジメントに手頃な教科書がなかったので、動いてくれる部下の人数に合わせてこの三シリーズの主役のマネジメントの仕方を参考にして、「面白がって」いた。「鬼平」は数十人以上、「剣客」は数人から十人、「梅安」は二、三人のプロジェクトという風に、まことに参考になった、と思っている。この三シリーズの主役には常に「主要且つ重要な」部下(友人・家族)たちがいて、主役を支えているし、主 … [続きを読む] |
生まれ故郷の四国の小学校の夢のような思い出で、そんなことあったのかどうか自信がなかったけれども、インターネットで調べているうちに鮮やかに思い出されてきた。その頃M君といういわゆるガキ大将がいて、私も彼のことがハナモチならなかったので、「決闘」することになった。勝負は「アッ」という間について、私は彼にたちまち組み伏せられて、「泣かされて」しまった。その後、担任の先生のとりなしで「握手」をしたが、M君はそれからなぜか私のボディーガードのようにいつもそばにいてくれて、彼がいる限り他の「不良」との喧嘩の心配がなかった。あるとき有名な屋 … [続きを読む] |
サラリーマンをやっていた頃、まっすぐ帰るのが嫌で立ち寄っていた店のひとつに、常磐町の「パリ」があり、確かにマティーニは「極上」だった。先代のママがやっていた頃で、あまりに美味いので三杯目を頼むと、「あなた、大丈夫?帰れるの?」と言われたが、自宅には歩いて帰れるし、全く酔っている気もしなかったので、負けずに飲み続けた。そのママからその店の由来やなぜか日本郵船の名が入っているグラスや後ろのテーブル席には座ってはいけない話や、あれやこれやの「横浜とパリ」の話が面白かったので、ずっと立って飲んでいることも忘れた。マティーニには、パール … [続きを読む] |
雪を観ると、京都を思い出すのはなぜだろうか。京都の「良さ」は、雪の降る冬や春にとどまらず、夏や秋にもそれぞれに「風情」があるのに、ずっと昔に見た、雪に埋もれる金閣寺の絵葉書が、未だに私を「捕らえて」いるのかも知れない。京都を愛した川口松太郎の「古都憂愁」を読んで、友人たちと連れだって祇園を「覗き」に行ったのが三年前で、街も人も「芸」と「術」で彩られた空間を愉しんだ。溝口健二が監督した映画「祇園囃子」も川口松太郎の原作だがこの古都の美しい「うらおもて」を描いていて、確かに「日本」の人間がいて、日本はこの古都を「失ってはならない」 … [続きを読む] |
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