書き込み数は3件です。 | ◀▶ |
古本屋で古い本の背中を眺めていると、確かに「古い」ことが書かれていて「懐かしい」ことが多く思い出されて一種「幸せ」を感じるけれども、新刊本が並ぶ大きい書店で新しい本だけの背中を眺めていても「懐かしい」本はあって、その本が自分の「過去」に関わることと繋ぎ合わされると、古本屋にいるような「懐かしい」気分にさせられる。「古い」ことはもう動かしようのない「過去」のことであり、動かない「過去」が確かに自分を「懐かしく」させて、「現在」起こっていることや「未来」に起こりそうなことが自分を「不安」にさせるのに比べて、気分が「落ち着く」という … [続きを読む] |
たまたま関係しているマンションの住人のうちにいわゆる「悪がき」がいて、マンションの地下室や自転車置き場で屯して煙草を吸ったり、道を通りかかる人に携帯や金を貸せだのと言ったりで、親も管理人も「お手上げだ」ということを聞いた。「大人」であれば即「公安」の問題で「犯罪」の兆しとして処理するのだろうが、「少年」だからどうにもならない、と。日本のように「穏やか」な国では、「大人」が、「子ども」に「優しい」配慮をしているように見えるけれども、「親」や「大人」が子どもに食事や水を与えるように、確かな「愛情」や「友情」を与えていなければ、それ … [続きを読む] |
阿佐田哲也によれば、「十四勝一敗の選手を、一勝十四敗にすることは、それほどむずかしくないんだ。ところが、誰とやっても九勝六敗、という選手を、一勝十四敗にすることは、これはもう至難の技だね。」だそうで、つまりはいつも「九勝六敗」の選手が「最も強い」とのこと。博打の「上位」レベルの話である。決められた期間(時間)にたまたま運がよくて勝ち続けるということは、普段の生活でもよくあることで「瞬時」の幸運は私たちに無上の「慶び」と「自信」を齎してくれるけれども、長続きはしない。それは、私たちの日常は特に「期間」を決められているわけではなく … [続きを読む] |
◀▶ |