お掃除伝道師さま、以前日記未公開のときの「生意気」をもう一度。
白妙日記(22)・・・虚と実
2007年11月18日(日)
今日NHKスペシャル「吉永小百合」を観た。「変わらない...」と思った。関川夏央は、「昭和が明るかった頃」でこう書いている。「長年、不思議に思っていることがある。それは吉永小百合の出る映画は、なぜつまらないかということである。」「吉永小百合も「大女優」といわれる。そのわりには作品の印象が薄い。というより近年、といっても二十五歳以後の彼女は、その熱演ぶり、あるいは俗にいう「体あたり演技」でひとりはなばなしく空転しながら、結果として映画としてのリアリティを希薄にする役割を果たしているようだ。」となかなか厳しい。私はサユリストではないけれども、彼女の「変わらない」生き方が、映画の中でも外でも、「好ましい」と思い続けてきた。作品の中では、あの相手をまっすぐ見る目は、どの作品どの役柄でも共通で、「吉永小百合」以外の何ものでもないことが、関川氏のような言葉を生むのだろうか、と思う。映画を映画としてみるうちに虚と実が判らなくなり、虚実の間を彷徨うことで私などは充分愉しめる。女優が「女優」でなくても映画が「映画」でなくても、その演技や映像が私たちを揺さぶることで満足してもいいような、気がする観客のひとりである。「リアリティ」には拘らない。