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2008年05月29日(木) 
小林旭を実際に見たのは、小学生のとき香川の高松で、当時斬新なデザインだと話題になった、市内のガソリンスタンドの前をたまたまバスで通りかかったとき、皆が騒ぐので外を見ると、日活のロケが行われていて、あの小林旭が立っていた。残念ながら通りを隔てて白いスーツ(?)の背中からしか見えなかった。当時人気絶頂の「渡り鳥シリーズ」のようだったので浅丘ルリ子もいるかと思って探したけれどもいなかった。後で観るとそのときの相手役は、笹森礼子だった(と思う)。世に、石原裕次郎と小林旭をよく比較するし、小林旭も裕次郎を「意識」しない筈はなかったと思うけれども、どんなヤクザを演じても裕次郎はいつも「優等生」だったし、旭はなぜかヤクザが「サマ」になっていた、と思っている。そのイメージがどこから来るものかは、40年以上かけて考え続けているのだけれどもいまだにはっきりとはしない。ただ、旭の高い「声」は「哀切」を帯びていて、誰からも愛されるような「兄貴」の裕次郎とは違う「道」を歩む「姿」がその歌声と重なる、ような気がする。そういえば、当時の浅丘ルリ子に、旭と裕次郎とその「相手役」としてどちらが似合うかは、私にとってもうひとつの重い「課題」でもあるのだけれども。
閲覧数4,649 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/05/29 14:08
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コメント(2)
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  • 2008/05/31 15:31
    お掃除伝道師さま、以前日記未公開のときの「生意気」をもう一度。

    白妙日記(22)・・・虚と実
    2007年11月18日(日)
    今日NHKスペシャル「吉永小百合」を観た。「変わらない...」と思った。関川夏央は、「昭和が明るかった頃」でこう書いている。「長年、不思議に思っていることがある。それは吉永小百合の出る映画は、なぜつまらないかということである。」「吉永小百合も「大女優」といわれる。そのわりには作品の印象が薄い。というより近年、といっても二十五歳以後の彼女は、その熱演ぶり、あるいは俗にいう「体あたり演技」でひとりはなばなしく空転しながら、結果として映画としてのリアリティを希薄にする役割を果たしているようだ。」となかなか厳しい。私はサユリストではないけれども、彼女の「変わらない」生き方が、映画の中でも外でも、「好ましい」と思い続けてきた。作品の中では、あの相手をまっすぐ見る目は、どの作品どの役柄でも共通で、「吉永小百合」以外の何ものでもないことが、関川氏のような言葉を生むのだろうか、と思う。映画を映画としてみるうちに虚と実が判らなくなり、虚実の間を彷徨うことで私などは充分愉しめる。女優が「女優」でなくても映画が「映画」でなくても、その演技や映像が私たちを揺さぶることで満足してもいいような、気がする観客のひとりである。「リアリティ」には拘らない。

    次項有
  • 2008/05/30 21:54
    わたしの夫(60歳)も昔、吉永小百合さまに

    お逢いしたことがあるそうで(偶然です(#^.^#)

    それはそれは後光がさしていたそうです。

    次項有
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