今月初めにコーラスで出演した沢田研二の東京ドームがNHKで放送された。時を同じくBSでパフュームの武道館が放送された。 還暦の往年の大スターと20そこそこの女の子達。東京ドームと武道館。40年前のアイドルと今のアイドル。比べやすく、その差がなんなのかが面白くもある。 沢田研二の絶頂期は阿久悠・大野克夫が作り上げた「ニヒル」に支えられた。「キザ」でいる哀切を透かせて見せたわけである。それは決して等身大ではない。実際本人が当時ベースにしていたのはデビッドボウイだろうし、さらに土台にはミックジャガーがいるのは明白だ。そしてなんと言ってもそれを現実に出来たのは渡辺プロだからだ。 http://www.co-colo.com/ 対するパフューム、勝手に対させてますがね。中田ヤスタカ氏の才能を惜しげもなく投下、アミューズがバックについて、ついに武道館を埋めてしまいました。紅白でもクチパクなんだろうかといらぬ心配をよそにトップセールスを為し得た方々が持つオーラを放っております。 http://www.amuse.co.jp/perfume/ 自宅の2階で10ヶ月ぶりに料理をしながら両者を続けざまに拝見してやはり気づいてしまったんです。 ジュリーにはあって、パフュームにはない物。 ジュリーにはなくて、パフュームにある物。 今のジュリーではなく、70年代のジュリーと今のパフュームは「売る」才能群の英知の結果なのだとすればある物と無いものの差が「時代の差分」なのでしょう。 その差分にときめけない私 東京ドームの最後にジュリーが長々と「夢と現実」の話をしました。 「昭和41年に上京し、昭和42年にタイガースとしてデビュー、まさに夢でした。僕は夢見る男ではありません。でも、みんなに夢に連れて行ってもらいました。それからずっと夢の中にいます。 (中略) 現実を一つ一つ踏みしめて来ました。現実をしっかり受け止め、日常を、日々の暮しを歩んできたら、また今日、夢の中に連れて行ってもらいました。この夢がそうそう長く続くとは思っていません。みなさんのお蔭で夢をみれました。(ママ)ありがとう、ありがとう、ありがとう。 3万人の人の前で歌えることは嬉しさの極みです。また明日からしっかり日常を暮らしていきたいと思っています。一日でも長く歌っていきたいと思っています。 ありがとうございました、ありがとうございました、 ありがとうございました、ありがとうございました、 ありがとうございました」 昨年出版されたショーケンの自叙伝の中で沢田研二の事をショーケンが語っています。この二人の場合は人としての差分ですね。その差分を見事に表しているMCだと思いました。 今年、時代の寵児といわれた方が哀れな末路を露呈しました。勿論ジュリーも時代の寵児だったわけですがここにも差分を感じます。 何よりも差分を感じるのはパフュームの「詞」に「主体のリスク」を感じないことです。「フォルム」が「雰囲気」になっていて「煙」のようです。 データミュージックだけでは人の購買は爆発しない。そこには「アナログ」をふりかけなきゃね。でも「ふりかける」のが大事・・・・・ だけど・・・ セルロイドやプラスティックは意外と堅い物です。トラップにかけ続けられたいと思うにはその向こうの肉体の軋みの伝達が必要です。肉体の内部の軋みから出た、「言葉」、「音楽」、「絵画」、そして「人間」が必要です。 そう思ってしまうのは私がポップカルチャーとは無縁だからなんでしょうね。 な~んて、小難しい事を考え鍋をつつきつつ「パフュームのノッチは将来は女優になるべき!」と気勢を上げ、「ダンスは断然斬新」と納得し、「ショーとしてやっぱりツボを心得ているわ~」と感心している年末でした~ |