完全ネタバレあり(要注意)~~ http://www.mistmovie.jp/ ということでスティーブン・キング原作、フランク・ダラボン監督、「ショーシャンク」「グリーンマイル」コンビ第3作、「ミスト」を見ました。 ご自分が「健全」だと思っている方は見るべきではありません。多分嫌悪感に見舞われるほど見終わった後凹むか、なんだかよくわからないと思います。 死に至る病といったのはキルケゴールですがその正体は「絶望」です。この映画のテーマは「絶望」ではないと思いますがラストシーンにとんでもない量の「絶望」が用意されています。 映画に限らず表現とは最終的に観客の物でもあります。見せつけたり説明し尽くしたりするよりも観客の判断にうまく任せる作品のタイプなのですがこれがまた個人ではどうしようもない物をいきなり渡されたまま物語は終わってしまいます。 同じ作り手としては「うまい」と膝を打つやり方ですが、これを渡された観客は途方に暮れるだろうなぁと思わずにはいられません。 物語の進め方、進行のチョイスが秀逸です。ほぼ物語は「成功点」に向けて右往左往しながらも進行がチョイスされるのが定石です。しかしこのシナリオは「絶望に埋め尽くされる失敗点」に向けて進行がチョイスされているわけです。 スーパーマーケットに閉じ込められてすぐに出ていくおばさんがいるのですが、「成功点」で言えば彼女のチョイスが既に最高のチョイスであったことがラストシーンでわかります。その後に行われる選択の数々は道理に合っているかのように選択されますがことごとくミスとして終わります。 まるで登場人物の物語が、最後に生き残った人々のアナザーストーリーのようです。生き残れなかった人々の物語なんですね。しかしここがミソなのですが、生き残ろうと強く思い、合理的な選択を重ねているにもかかわらず登場人物達は生き残れません。 ミスト=霧=ホワイトアウトはファンタジーの代名詞なんですがここも「反転」していますね。善かれと思ってやっていることが「絶望」を呼び、「悲劇」を上塗りし、救いようのない「現実」を呼び覚まします。 現代アメリカの比喩としてみるのが正解かと思います。霧に囲まれているスーパーマーケットにいる多種多様な村人はそれ自体が国家で、最後に移動する密室=車で脱出したのが全員白人というのがまた「嫌み」な所です。 ノアの方舟たり得ない船にはオリーブの葉は届かない~ と言うわけですね。 設定としては舞台向きかなぁと思ってみていたのですが、あのクリーチャーが出てきてからはさじを投げました。あんなに造形を見せなくて襲い襲われるという方が恐ろしいと思うのですがねぇ。まぁあれを見せなきゃアメリカ映画ではないのでしょうかねぇ~ 蛇足 ラストシーン、主人公の父親が「絶望」によって「咆哮」します。演出家としてはあの「咆哮」は弱いですね。物足りません。あれは「気が狂い」ますよ。どうせあんなえげつないラストシーンにしているんだから演技も狂って欲しい物です。あれでは自分を責めるという改悛が入り込む余地があります。どうせならそんな物入り込む余地がないほどの「絶望」を見せて欲しいですね。 さらに観客は立ち上がれなくなりますがね。リア王は娘コーデリアの亡骸を抱きながら悲しみのあまり絶命したとト書きにあります。リアの死因は「悲しみ」です。この映画を悲劇と呼ぶかはわかりませんが私なんかはそう言うところを見たくなってしまうのですが。 先日のスラムドッグがハッピーエンドなら、ミストはビターエンドの極です。ハッピーエンドの方が金になるでしょうに良くもまぁこんなオチで配給に踏み切ったもんだと感心します。それも多様性なんでしょうか。 日本映画だとしたら配給にこぎ着けられただけで大喝采です。 |