「あんな者、どこで泊るやら分るものでございますか、旦那様。・・・」と、峠茶屋の婆さんに軽蔑の言葉でその「身分」を示唆された旅芸人の一行との交情を描いた川端康成の「伊豆の踊子」の中で、若い主人公にとって伊豆という場所が「特別」のものであったには違いないだろうけれども、その場所が、通りすがりの親しい人たちとの「一時的」な場所であっても、なぜかその場所は「人」を離れて「特別な場所」になる。それは、旅に出てみればよくわかることで、思い出に残る場所は、例外なくその場で逢った「人」たちとの思い出が「もと」になっているけれども、私たちはそれでもその人たちのことと同じように、またそれ以上にその「場所」に「愛着」をもつのはなぜだろう、と思ったりする。有名な一節、 「いい人ね。」 「それはさう、いい人らしい。」 「ほんとにいい人ね。いい人はいいね。」(中公社「伊豆の旅」より) という自分についての言葉を、主人公が聞いたときに見えた「風景」はどんな鮮やかさを主人公に見せただろうかと、思う。川端はその風景を具体的には何も書いていなくて、主人公は、「竹の杖を振り廻しながら秋草の頭を切っ」て、「-物乞ひ旅芸人村に入るべからず。」という立札を認める。 さて、横浜も多くの「いい人」がすれ違う街だと「いい」と思うのだけれども。 |