オオカミ信仰は、幕末 急速に広まったそうだ・・・ そう教えてくれたのは知人のI氏... 横浜開港前の歴史に着目している 郷土歴史家であり、地霊研究家である。
数ヶ月前の NHK ETV特集 「見狼記~神獣ニホンオオカミ」で 番組中こんな発言があったそうだ。
「こうしたオオカミ信仰は、幕末 急速にひろがったことが分かっている。 安政5年(1858年)の三峯神社の日記には「御眷属一万疋」とある。 わずか半年の内に1万枚の「オオカミ札」が下げ渡された。 激動の時代だった。ペリー来航(1853年)の翌年、東海・南海地方、さらにその翌年には江戸を大地震が襲い、津波も猛威をふるった。 とどめは「三日ころり」と云われたコレラの大流行だった。」
国立歴史民俗博物館 名誉教授 高橋敏氏は 番組内コメントとして・・・
「当時の人々は、なにか悪さがあると「キツネ憑き」という思考があるわけですね。 これは異国船が、あめりかキツネを乗せてきて、あるいは千年モグラを乗せてきて、 それを日本に放ったと。 あめりかキツネ、千年モグラと戦うのは それは日本のオオカミだと。 これは武州秩父の三峯山だ~!とお札に殺到したんじゃないですか。 遅れた迷信じゃないか・・・と片付けられないものがあると思うんですよ。」
秩父のオオカミ信仰が、安政5年のペリー来航と関連づけられようとは驚きである。 安政5年とは、日米修好通商条約により、神奈川(横浜)の開港が定められた年である。
私がオオカミの置物をみた神社の近くの高台の隅には こんなものがひっそりとある。
柵の中にある石碑に彫られた文字は・・・「避病院」
この地域の歴史を紐解いてみると・・・ この場所に伝染病の為の病院があったことがわかった。 それは横浜が開港してからのことである。避病院とは伝染病院のことだ。 開港の歴史を調べると、華々しい西洋文化の伝授がいくつも書かれている。 横浜からそれは伝えられ、日本は近代化へと駆け足で走って行った。。。 しかし、そんな時代の幕開け 新しい文明と共に、今まで国内になかった病も異国からやってきたことも間違いはない。
アメリカ狐やイギリス兎は、コレラを持ち込んで来た西洋の動物・・・いえ妖怪か? 千年モグラも同様に、異国伝来の妖怪と考えられていたらしい。 それに対抗すべく登場した「オオカミ信仰のお札」 欧米列強に開かれた開港場の横浜にあって けしておかしくないものである。
HNKの番組中でも、 「ペリー来航の脅威と戦えるのは、日本のオオカミ信仰である」 とコメントされたそうだ。 庶民が信仰した「オオカミ」。。。 そんな150年以上も前の名残が、今も横浜のこの地にあることに 当時の庶民の生活の中の不安や祈りを 近所のオオカミのお札から感じてみるのであった。
そして やはりI氏が教えてくれた ある一冊の本がある。
小倉美惠子さん著 「オオカミの護符」
川崎の宮前区に残る「オオカミ信仰」のお話だ。 いまや「たまプラーザ」となり、お洒落な街として有名になったその場所に 地元農家の人が、長い間心の拠所としてきた「オイヌ様」=オオカミへの思いが綴られている。 遠き昔から、日本人の心にある様々な風景の中に このようなオオカミ信仰もあることを ごく身近な処から 初めて知ったのであった。 |