東京で仕事をしていたとき、高いビルの会議室で会議に疲れ、ふと外に目をやると、遠くを見ているときはいいけれども、足元を見るとそのビルより低いビルの屋上が見えて、ことごとく薄汚れた灰色のコンクリートの肌を見せていて、気分が滅入ったことを思い出す。下から見るビルは、玄関もよく掃除がされて、ガラスも陽の光をよく撥ね返すほどに磨かれていて、訪れる人には不快を与えない。これが都会だと思わせるが、高い建物が多くなるにつれて、ビルは上からも見られるものなのだということにもう少し配慮されれば、都会の景色ももっと気分がよくなる、ように思う。おそらく、ビルの屋上は「人」がいないので、手入れも配慮もないと思うけれども、昔の映画でよく見た、社員が屋上でバレーボールをしたり、遠い景色を見ながら語らいあったり、草花を育てている人は花に水を遣ったり、することが「普通」であれば、屋上もひとつの快い「街」を創るように思う。間違いなく「街」は「人」が創る、ということに、「喧騒」を離れてみれば気づく。近頃、横浜も高い建物が増えてきている。
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