書き込み数は5件です。 | ◀▶ |
教室に通ってくる四歳の女の子のAちゃんが近づいてくると、その泣き声でよく分かる。お母さんに付き添われて、入ってきたときにはその泣き声は頂点に達していて、「エイゴがイヤダぁ」としばらく続き、トイレに行ったり、洗面所で顔を洗ったり、数分かけてお母さんと「協議」をしたり、「じゃあ帰ろうか?!」とお母さんが「キレ」かかると、その泣き声は「(帰るの)イヤダぁ」とまた一層大きくなる。Aちゃんの肩からはお母さん手製の泣いたとき涙を拭く「専用の」タオルが紐でぶら下がっていて、Aちゃんはそのタオルで自分の涙を拭きながら泣き続ける。そうこうして教室に … [続きを読む] |
時々、頭の中に訪れる詩の一節に「たよりになるのは くらかけつづきの雪ばかり 野はらもはやしも...」というのがあり、自分では何年もそれが、伊藤整の美しい詩集「雪明りの路」の一節だと思っていて、最近探してみるとどうしてもない。この言葉を頼りにインターネットで探すと、宮沢賢治の「春と修羅」に入っていることが解った。ほとんど読むことのない宮沢賢治の詩が、いつどこで自分の頭の中に入ったのだろうか。同じように、自分の車の中でかけていたソニー・ロリンズの一節に反応した人がいて「これだよ!」と大きい声を出したが、その人も自分の頭の中で鳴り続けて … [続きを読む] |
CATVで録りだめしておいた向田邦子のドラマシリーズで物語をいくつか観て、全くいい映画やドラマが「幸せなめぐりあい」で出来上がっているのだということを実感した。原作は向田で、演出や俳優はそのたびごとに違うのだろうけれども、たまたま観たこのシリーズの顔ぶれは久世光彦演出、俳優は田中裕子、加藤治子、小林薫、とほとんど同じで、そして単発で宮沢りえや森繁久彌まで出ていて、なんともいえない「滋味のある」ドラマシリーズになっている。特に「あ・うん」や「風立ちぬ」では、向田や久世が「人間」や「男と女」がもつ「避けられないもの」をきっちりと押さえて … [続きを読む] |
曙町の「荒井屋」の二階で牛鍋を肴に日本酒を飲んでいたとき、仲居さんに「牛鍋」と「すきやき」の違いについて聞いたけれども、少し酔っていたのでその「説明」がよく解らなかった。曰く、「すきやきは、「焼き」ますし「牛鍋」は「鍋」ですし...」と聞いて、自分の酩酊が過ぎたのかとも思ったが、以前行った末吉町の「太田なわのれん」でも確か同じような酩酊の中で、同じようなことを聞き、同じような応えを聞いたような気がして、不思議に思っている。いずれのときも気分のいい酩酊が崩れそうで、それ以上の「追求」を止めていてそのままになっているが、何か書物や … [続きを読む] |
十数年前のことだが、会議で一週間程シドニーに行ったことがある。その時たまにはホテルの外に繰り出そうということで、近くのスタンドバーで飲っていたところ、夜中の12時を既に過ぎているというのに若い女性を含む数人がそのバーに訪れて、和やかに飲んで三々五々と帰っていった。むろん若い女性も一人や二人で何の懸念もなさそうに帰っていく姿に、「この街はそんなに安全なのか」と思ったものだが、その頃のニューヨークでは全く考えられなかったことで、人がそれ程混んでいない街で、その光景を見て「ほっと」した気持ちになった。近頃ではニューヨークも変わったらしく … [続きを読む] |
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