ハマっちでオトモダチになってくださっているよんなんさん。先日まで中央図書館で行われていた「横濱地図ものがたり」の実行委員でもご一緒させて戴きました。
よんなんさんは横浜や本牧地域のことに色々と詳しくて、ブログの中にも興味深い記事がいっぱいです。
そんなよんなんさんに教えて戴き、本牧への訪問介護の休憩時に ときどき訪れている喫茶店「アンデルセン」。
先日の午後に行ってまいりました。 http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=19503
日課のように毎日来ているという82歳になるお爺ちゃん。この日の午後にもいらっしゃいました。 「今日は、これでここに来るの3度目だよ~」って笑いながら言ってて、 朝と昼とそして私が行った午後3時と、三回もコーヒーを飲みに来ているとのこと(笑)。
お爺さんは、九州の天草のご出身で、満蒙開拓団の一員として 満州に行かれていた時期があるそうです。
私にとっては、記憶にもない遠いお話の太平洋戦争ですが、
アンデルセンのマスター(85歳)は、戦時中に中国に行っていたし、奥さんであるママ(80代)は、藤沢で焼夷弾を逃れて危機一髪命を取り留めたそう・・・
そんな戦争のときのことを、つい昨日のことのように話してくれます。
その常連のお爺さんが、満州に行ったときに、中国服を着たひとりの女性と出会ったそうです。 中国服を着ていたので、中国人の女性とばかり思っていたら、 その女性は同じ天草出身の人で、「からゆきさん」として中国に渡ったと言うことで当時のお爺さんもびっくりしたそうです。 お爺さんは、からゆきさんのことを「からゆきどん」と言っていました。 天草には貧しい家が多かったからなぁ・・・と言っていました。 「からゆきどん」として、外地に出稼ぎに行く女性がとても多い地域だったと言っていました。 また、天草はカソの人が多く自分もそうだと言っていました。 カソとはカソリック教徒のことです。天草四郎がそうであったように、 キリスト伝道の地で、カトリック信者が多かったのでしょうね。
老人介護をしていて思うのは、病気や介護状態の人はデイ・サービスやヘルパーなどの派遣があるけれど、健康なご高齢者が集う場所が案外少ない、ということです。ここ、アンデルセンのように高齢者が自由に話し、それを受け止めてくれる場、というのはとても貴重なところだと思います。 いつまでも、マスターとママにお元気でいてもらいたいものです。
■お店情報■
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