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2008年01月10日(木) 
テレサ・テンが死んだとき私は香港にいた。仕事で打ち合わせ中に、小さなオフィスの人たちが、テレサの死を伝えるテレビのニュースを見て、騒然となった。そのとき打ち合わせは打ち切られた。それほど香港の人たちにとって、彼女の死は「大事件」だった。日本では、「つぐない」や「愛人」や「空港」などいわゆる「日本の歌謡曲」で人気を不動にしていたが、台湾生まれの彼女が、香港や中国本土で人気があるということは、微妙に、日本でのものと「異なる」ニュアンスを持つものであることを香港では感じていた。当時、テレサの歌は台湾と香港と中国を確かに「繋いでいた」

閲覧数4449 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/01/10 16:47
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2008年01月06日(日) 
中学生になったばかりの頃、「座頭市」と「眠狂四郎」の二本立てを映画館でやっていたので、学校の帰りだったか帰ってからだったか、観に行った。翌朝驚いた。学校の学年集会があって「中学生が一人で映画に行ったものがおる」と「生活指導」教師の「注意」のような話が皆の前であった。どうも私の話のようだった。それによると「座頭市は、身体(目)が不自由ながらも自ら困難を切り抜けて生きてゆく。これはよろしい。しかし、眠狂四郎(そのニヒリズム?)は見習わぬ方がよい。観に行ってはいかん」と訳のわからぬ「説明」をした。いうまでもなく「座頭市」は勝新太郎の

閲覧数2264 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/01/06 14:33
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2008年01月03日(木) 
元旦の翌日夜に、桜木町から野毛を抜けて大岡川沿いに伊勢佐木町へと歩いた。静かだった元旦から少しずつ街が「目覚めて」来ているのを感じた。それにしても、光の多い表通りではなく「裏道」を何気なく選んで歩いていて、寂しさ感じるよりも「心地よかった」のはなぜだろうか。別に悪いことをして後ろめたいことがある訳でもない。足元は明るいのでもなく、人通りがなく、ただ離れている街灯が行く先を教えてくれるだけの小径を歩いていて、満足してしまうのは喜んでいいものか...物陰から野良犬や野良猫がひょいと飛び出せば静寂が破られるということになるのだけれども、

閲覧数2204 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/01/03 02:33
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2007年12月31日(月) 
写真というのは残酷なもので、そのときのその一瞬の人をとらえて「その人」だと決めつけるところがあり、撮られた側の人は「いやあれは本来の俺じゃない」と言い訳をし言いたいことがいっぱいある筈なのに、写真のその人物は勝手に一人歩きをして主張を始め、「その人」から遠慮なく「遠ざかって」いく。それでもその写真が「核心」をつくものであれば、間違いなく「その人」を捉えていて、歴史に残る「一枚」となったりする。人物写真というのはよくそういうものだけれども、街の風景も同じようなところがあり、その時その場所にだけにしかなかった風景が、その街を紛れも

閲覧数4896 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2007/12/31 17:35
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2007年12月27日(木) 
私の大学の恩師は、当時大いに流行っていた「思想」や「哲学」で頭がカチカチになっていた私たちのゼミの席で、「あなた方、まず横文字(外国語)と(社交)ダンスをやりなさい」と言われて、ヘーゲルかサルトルかはたまたベルグソンかと待ち構えていた私たちの出鼻を挫かれたが、その先生とある日なにか雑談をしていたときに、「美空ひばりは、芸術かしら」と問われた。私にはそれがまるで口頭試問のように思われて、真顔で「いわゆる芸術であるとは思えませんが、「芸」と「術」は卓越しているのではないでしょうか」と賢しらげに応え、先生に苦笑されたことを思い出す。

閲覧数2296 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2007/12/27 01:03
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北埜 里一さん
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古くて新しい味わい深い邑(まち)、横浜を私たちの故郷にしたい。
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