書き込み数は5件です。 | ◀▶ |
小林旭を実際に見たのは、小学生のとき香川の高松で、当時斬新なデザインだと話題になった、市内のガソリンスタンドの前をたまたまバスで通りかかったとき、皆が騒ぐので外を見ると、日活のロケが行われていて、あの小林旭が立っていた。残念ながら通りを隔てて白いスーツ(?)の背中からしか見えなかった。当時人気絶頂の「渡り鳥シリーズ」のようだったので浅丘ルリ子もいるかと思って探したけれどもいなかった。後で観るとそのときの相手役は、笹森礼子だった(と思う)。世に、石原裕次郎と小林旭をよく比較するし、小林旭も裕次郎を「意識」しない筈はなかったと思うけれ … [続きを読む] |
「桜木町」という名前も悪くはないが、そこから横浜に向かってバスに乗ると「紅葉坂」、「雪見橋」、「花咲橋」とまことに「心地よい」名前が続き、「高島町」となると急にビジネスライクな「音」になる。街の名前は、その場所の「事情」と「理由(わけ)」持っていて、高島町という名前がなぜそこに残っているか調べれば納得するけれども、その前に私たちの会話やバスで流れる「音」に、まず気分よくさせられると、その街に住んでいることがうれしくなる、のは「個人的な」ものだろうか。その街に住んでいると会話の中で使う土地の名前が「音」として飛び交い、人と話して … [続きを読む] |
数年前にはまだ東京で仕事をしていて、会社の帰りに銀座6丁目にある「スウィングシティー」というジャズクラブによく寄っていた。あの頃、世良譲や北村英治などはもう「仕事」というよりは客と共にその夜を「酔いしれる」というような時間の過ごし方をしていて、そのときには食べるものも飲むものも美味く、そして流れるジャズも...「陶然」というのはこういうことかと思ったものだ。ある夜、ジョージ川口が演っていて、リクエストをしていいということなので、アート・ブレイキーの名曲「チュニジアの夜」を求めた。「オ!演ろう」と言ってくれて「激しく」、「完璧に」 … [続きを読む] |
東京で仕事をしていたとき、高いビルの会議室で会議に疲れ、ふと外に目をやると、遠くを見ているときはいいけれども、足元を見るとそのビルより低いビルの屋上が見えて、ことごとく薄汚れた灰色のコンクリートの肌を見せていて、気分が滅入ったことを思い出す。下から見るビルは、玄関もよく掃除がされて、ガラスも陽の光をよく撥ね返すほどに磨かれていて、訪れる人には不快を与えない。これが都会だと思わせるが、高い建物が多くなるにつれて、ビルは上からも見られるものなのだということにもう少し配慮されれば、都会の景色ももっと気分がよくなる、ように思う。おそら … [続きを読む] |
以前この日記(38)で、川内康範氏と月光仮面役だった大瀬康一氏のことを思い出して、一度横浜にいるという大瀬氏の近況を知りたいと思っていたけれども、その後川内氏が4月に亡くなって先日の産経新聞に大瀬氏が「顔はどくろ仮面だが、心は月光仮面」(?)であった「川内のおやじ」のことを語った記事が出ていた。曰く、「(川内さんは)人間という不気味で複雑な存在、その人間がつくる不条理ともいえる社会の本質を全身で感じつかみ取り、独自の哲学を形成してい」て、「自分が「正義」そのものであろうとしたわけではなく、「正義の味方」であろうとした」と。思いがけないほ … [続きを読む] |
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