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2010年05月29日(土) 

今から65年前の昭和20年の今日、5月29日に
横浜は空襲の被害を受けました。

横浜の空襲全体では、5182人の死者行方不明者、
一番激しかった1945年5月29日の空襲時の死者行方不明者は3959人
とされているそうですが、
それより多かったことはほぼ間違いないでしょう。
5月29日の空襲だけで、黄金町駅で空襲後構内で死亡した人数は628人
と駅長が確認しているそうです。

息子の友人が黄金町駅のバイトをした時に、スタート前の注意事項として、
「夜中の勤務のとき、この世の者ではない存在に出会うかもしれないけど、
それはこの駅ではあたり前のことだからね。」と言われたそうで、
実際に霊感体質でない彼は、何度もそういった体験をしたそうです。


黄金町のほど近く、西中町というところにある高野山・普門院にて
横浜大空襲の慰霊供養祭が行われるとのことで、
足の痛い義母の代わりに行って参りました。

義母は、65年前に12歳で疎開先から戻り、山下公園で空襲にあったそうです。
何が起こったのかよくわからないまま呆然としていた義母は、
たまたま近所のおじさんと遭遇し、
「町に戻るまでに絶対に周りをみちゃいけないよ」と言われて
おじさんと手を繫いで家まで一緒に歩いたそうです。
道ばたには、何体かの死体が焼け爛れていて・・・
「これは夢なのか? 何なのか? 」と思いながら、おじさんの手をギュッと握って
必死で歩いたそうです。
家に戻る道すがらは焼け野原が続き、家に戻ってみるも家はなく…
防空壕で助かった母親と姉妹、仕事に行っていた父親、家族はみな無事だった。。。
皆で抱き合って生きていることを確かめ合ったそうです。


普門院のご住職は、
「毎年、参加者が減って行きます。戦争の記憶も風化して行きます。
でも、忘れてはいけないことですから、私達は供養を続けます。」
と、読経のあとおっしゃっていました。
その時の空襲で、ご住職のお父様もお亡くなりなったそうです。
ご近所の皆さんを防空壕に誘導するため・・・
そして、防空壕に向かった町内の方も沢山亡くなったそうです。

少なくなったという参列者のほとんどは、ご高齢の方でした。
20名までいなかったでしょうか。
私は、仕事の打ち合わせで会った同職の友人を誘って行くと、
オトモダチのキングさんもいらしていました。
ご住職の読経を聴きながら、まだ生まれてもいなかった
でもこの日本、そして地域にあった戦争、空襲という歴史の部分について
考え、想像してみるのでした。

境内に祭られているお地蔵さんは、黄金町の悲劇を祈って
元々は黄金町駅前にあったお地蔵さんだそうです。
今日は、綺麗なお花とお線香で囲まれていました。


閲覧数2,605 カテゴリ横濱物語 コメント2 投稿日時2010/05/29 22:21
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