今年は二の酉までで、11月8日と20日です。
横浜の酉の市は、私が日常的にお買い物をしている 「横浜橋商店街」の海側 真金町にある「金刀比羅・大鷲神社」でのみだそうです。 (金沢八景の瀬戸神社は 歳の市として12月に行う)
横浜市の第一号 無形民俗文化財として登録されています。 祭神は 天之鳥船命(あめのとりふねのみこと)
この神社の歴史は・・・ 安政6年(1859年) 横浜が開港すると、 今の横浜スタジアムに港崎(みよざき)遊廓がつくられました。 (しかし正史においてのことで その前にも仮の遊廓があったようデス)
その際に、今も横浜公園に灯篭が残されていますが、 「岩亀楼」の主人、佐藤佐吉(岩槻佐吉)さんが 讃岐の象頭山から金毘羅(金刀比羅)大権現を勧請し 祀ったことがはじまりだとのこと。 佐吉さんは、埼玉県の岩槻(いわつき)の出身 岩槻=がんき=岩亀になったらしいっす(もやサマ風) *金毘羅さんは、ご存知 海上交通の守り神ですネ☆
岩亀楼は、外国人相手の花魁がいたことで有名ですが、 海からやってくるお客様である外国人の航海を案じて この神社を祀ったのでしょうか。。。
その後、慶応2年(1866年)に港崎遊廓は火事で燃え 吉田新田の北一ツ目に移転するも またまた火事にあい、 明治5年(1872年)に高島町へ移転。 金刀比羅社も高島町7丁目の海側に移転し、 このとき「大鷲神社」を 東京の浅草は吉原に習って 岩亀楼の佐吉さんが金刀比羅神社と一緒に祀られたそうですよ~
岩亀楼は横浜の遊廓において 大変力のあった見世だったのでしょうね。
高島町遊郭(1872年11月~1881年3月)
かつて書いた「岩亀楼・岩亀稲荷」の日記デス http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=38036
その後、永楽町・真金町 へと遊廓が移り(1882年~1958年まで) (最初 永楽町と真金町は二つ別々の遊郭街だったそうだ) ここに 現在の金刀比羅・大鷲神社が遷座することになり、 大正12年の関東大震災、昭和20年の横浜大空襲で焼失し 何度かの建替えを経て 現在に至るわけです。 (昭和33年(1958年)に、赤線は廃止されました)
横浜の遊廓としては 一番長い歴史を持つこととなったわけです。 (長い歴史の中で ここの遊郭内も色々な変遷があったと思われます)
(明治40年ころ)
今年の一の酉も オトモダチと一緒に行って来ました。
平日(木曜)なのに 沢山の人でした~
毎年、実家である 栃木は宇都宮から来ている「こぼり」さんのを見るのが楽しみ♪
一緒に行ったオトモダチの中に 「全国だるま愛好会」のメンバーがいて 今年も 「荒井だるま屋」さんをご訪問
来年の干支 「へびさんだるま」を買いました。
出店も人出も多い 横浜の一の酉でした。
そのあとで 商店街の中にある韓国料理屋にて 韓国料理に舌鼓打ちながら、 「遊郭があるときは もっともっと賑やかだったんだろうね~」 などと語って飲んで・・・ 友とたのしい宵を過ごしたのでした。
かつてご実家が遊廓を営んでいらし 現在は横浜橋商店街の名誉会長の歌丸師匠。 商店街では、似顔絵を飾るなど 盛り上げていました。
★一都三県の酉の市情報・・・http://matsuri.enjoytokyo.jp/torinoichi/
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