みなさん、こんばんは~
今日の横浜も暑い一日でした。
この辺は今日からお盆です。
我が家は爺ちゃんの新盆なので、先週は色々と準備をしてました。
日本の風習、お盆ってなんかいいですね。
夕食の前に、提灯に灯りを燈して爺ちゃんを偲びました
私が訪問介護で最初に行った会社で、2年前に潰れたとこの
同期会が先日ありまして、元同期が4名集いました。
その中の一人が、午前中はヘルパーをやって、
午後からは自営の銭湯の番台に座っているという働き者!
その銭湯というのが、「私立探偵濱マイク」の映画の第2弾、
私の一番好きな作品に使われているお風呂屋さんなのです。
(この銭湯、私は場所を知らなくて、先日の「濱マイクツアー」で参加者さんに案内してもらい、
2階にフロントがあるというので番台を覗くと、彼女が座っていてびっくりでした(^^)
ここが、彼女の銭湯だとは知らなかったんです)
そのとき、彼女(Sチャン)がある女性の話をしてくれました。
横浜には真金町という場所に遊郭(赤線)がありましたが、
その周囲には曖昧宿などが立ち並ぶ、
いわば青線とよばれる地帯がありました。
彼女の銭湯は、その青線といわれたところにあるのですが、
お嫁にきてすぐに、番台に座って欲しいとダンナさんのご両親から言われて、
素直にお手伝いをはじめたそう。
60年以上も前から、銭湯業をされているそうです。
Sチャンの語り~
「番台に初めて座ったとき、びっくりしたよ~
そこには、鼻のない女性が座っていて・・・
そんな人、初めて会ったし・・・
義理のお父さんが、色々と説明してくれたんだけど、
その女性、お婆ちゃんは、幼い時に東北の貧しい農家から横浜に売られてきて、
遊女?としてね。
そして家のお風呂に通ってきていたんだけれど、
ある時、性病にかかってそれが元でそういうことになってしまい、
もちろん遊女としても働けなくなった・・・
それで、ダンナのお父さんのお父さん、義理のお爺ちゃんが、
今まで通ってくれたんだし、
お風呂屋さんで働くようにと雇ったんだって。
そして亡くなるまで家に住み込んで、私と交代で番台に座っていたんだよ。
亡くなるまで家で面倒みていたんだ~。」
って話してくれました。
私はすごくびっくりしました。
Sチャンのお家が「濱マイク」で使われた銭湯だったのを知ったときもびっくりしたけど、
そんな最近まで、元遊女の人とSチャンが一緒に働いていたなんて~
そういうことは、大昔のことだと思っていたから、
とても衝撃だったのです。
そして、そのSチャンの義理のお爺ちゃんという人は、
心優しく福祉の精神がある人だったんだなぁ、
昔のハマッ子で人情味のある人だったんだろうなぁ、って感慨深い思いになりました。
その女性もきっとあの世でSチャン一家に感謝しているに違いない、
なんて、みんなでしみじみとしながらその話を聴いたのでした。
その話には続きがあって、長くなるので書きませんが、
お盆の時期近くに話を聴いたのも、
何かそのお女郎さんが伝えたかったことがあるのかもしれないな、
なんて、ちょっとセンチメンタルな気分になったりしたのです。
あの世へ行った今まで関わった人たち、会ったことはないけど、
古から血の繋がったご先祖さま達~
そういう人たちに思いを馳せるとき・・・お盆。
今夜は迎え火をたいて、お迎えです。