縁あって、かつてハマの日本橋と言われた界隈の仕事を受け持つようになり、週に2度ほど足を運んでいます。
『ハマの日本橋』~?
日本橋とは東京を意識していっている言葉なのか??
横浜を語るとき、主に行政や文化の中心である中区を語ることが多い。
横浜=中区・・・観光地も中区に集中している。
しかし、かつての遊郭~赤線は南区の真金町であるし、
このハマの日本橋といわれたかつての花街(花柳界)は、
二葉町~新川町で、やはり南区である。
ふ~む、横浜の南区は色街だったのである~~~
*ちなみに、遊郭と花柳界は違います。
遊郭はお女郎さんがいて、いわゆるそういう行為もするところで、
花柳界の芸者さんは芸とお酒のお相手であります。
本日は、その二葉町の先の蒔田の方で仕事があり、
蒔田公園を抜けてご訪問。
蒔田公園は、
春には桜、秋は銀杏と、南区民の憩いの場所となっている公園デス。
その近くには、
吉田新田にまつわるおさん様(人柱になったという)の伝説のある
お三の宮日枝神社があります。
そして、二葉町は、
今でも日本料理屋さんが多い界隈です。
お好み焼きの「八重菊」は結構有名です。
〒232-0026
神奈川県横浜市南区二葉町2丁目17
045-251-4764
先週の土曜日に、街歩きに参加してくれた人に声を掛けて、
8名で八重菊に行ってきました。
50年以上もお好み焼き屋さんとして、看板を出しているとのこと。
お店に入ると、割烹着を渡されてみんなが古のお母さんの雰囲気で
テーブルを囲みました。
お店も年季が入っていていい感じです☆
八重菊のお母さんが高校生の時に、ご両親がお店を出してくれたそうです。
それから50年・・・
すっかりと変わってしまった花街の様子を、野菜焼き、まぐろのしっぽ焼き
(コラーゲンいっぱいで絶品でした!)、
海老やアサリや色々な焼き物~お好み焼き、
おやつのあんこ巻きにくろんぼ焼き・・・
焼き方を教えてくださりながら、お母さんがその歴史を色々と語ってくれました。
街歩きのメンバーはそういう類の話が大好きなので、
色々と質問しながら美味しく楽しい時間を過ごしたのでした。
八重菊さんに行く前に、一回り街を歩きました。
木造の古いアパート(今でも住んでいる方がいます)が残っていました。
かつての芸妓置屋さんだったそうです。
25年位前まで、この界隈に芸者さんがいたんですね。
芸者さんの事務所&稽古場=見番も残っていました。
ここから、唄や三味線の音が聞こえてきたそうです♪
検索してみたら、やはり神山幸恵さんの「昭和花街残影」に
ハマの日本橋が書かれていました。
http://journalism.jp/works2004/works/kamiyama2/kamiyama.html
今はマンションが立ち並び(真金町もマンションだらけです)、
かつての面影はほんの少しですが、
街のオーラというか空気というか、そういったものの中に
感じられる街の雰囲気。。。そんなものは確かに存在します。
遠き古の光と影が・・・
150周年は色々なイベントがありますが、
私個人として、横浜という街に敬意を表して
「濱のリリーひとり路地裏ツアー」を一年かけて行いたいと思います。