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2011年11月07日(月) 

横浜には 観光地となっている有名な 山手の【横浜外国人墓地】がありますが、

http://www.yfgc-japan.com/message.html

 
その他に3ヶ所・・・


【根岸外国人墓地】  http://blog.livedoor.jp/enjoy_yokohama/archives/506…78523.html


【地蔵王廟】      http://hamasanpo.exblog.jp/155283/


そして、まだ行ったことのなかった保土ヶ谷の

【英連邦戦没者墓地】 と、

合計で4つの外国人墓地があるのです。 あっ、ご存知の方も多いですよね!

先日、英連邦墓地にはじめて行きました。

 



保土ヶ谷の狩場町に、「児童遊園地」という広い敷地があります。

 

緑豊かな遊歩道があったり、植物園があったり、休日のお散歩には最適の場所☆
そこに隣地する広大な墓地・・・

 

 

 

 

第二次世界大戦中に 日本軍の捕虜となって死亡した兵士たちが
計1555名眠っている合同の墓地です。

 

合同とは・・・
英国の他に、オーストラリア、ニュージーランド・カナダ、インド・パキスタンの兵士たちも眠っていて
4区画に分かれています。

 



 
インド・パキスタンのエリアは ちゃんとヒンディー語で書かれています。

 

 


美しい芝生の中、整然と整えられた墓碑・・・

そこには名前と年齢が刻まれていて みんな若い。。。

エリザベス女王、故ダイアナ妃、サッチャー元首相も来日時に訪れたそうです。


昭和16年(1941)、第二次世界大戦に突入した日本は、東アジアの大分及び太平洋の広い地域を占領し、
大勢の連合軍軍人や現地の民間人を捕らえて 日本軍の戦争の為に酷使させました。

(戦争時、他の国もそれぞれ他国に対してそうだったろう・・・)

 

労働条件は過酷で(お決まりですよ)、3分の1の捕虜が獄中死したそうです。

昭和17年(1942)、シンガポール陥落後、日本軍は生き残った多くの捕虜たちを日本に移送して、
大船の尋問収容所から、鉱山、工場、造船所にそれぞれ送って働かせたそうです。
(日本人もシベリアに連れて行かれた・・・)

昭和20年(1945)、日本軍の勢力は一気に弱まり、同年8月15日に降伏宣言するまでの間、
多くの捕虜たちは海軍の軍事標的砲撃や空襲によって 遠く離れた異国の地、この日本で命を落とすことになったのです。

その多くの御霊が ここに眠っているわけです。

世界中、異国で眠る魂は たくさんたくさん。。。なんですよね。

そして今もどこかの国では内乱が・・・
人間っていったい全体。。。_(._.)_ と思ってしまいます。


アメリカやオランダは、ほとんどの場合が祖国に遺骨を返すというルールだそうですが、
英連邦諸国では、命を落とした地に永久に眠らせるという慣しだそうです。

日本の英連邦墓地は ここだけだとのことです。

秋の日差しの中、初めて訪れた墓地には金髪の男性が一人 墓石の前にずっと座っていました。

 

         見知らぬ人たち 遠い人たち 昔の人たち でも、

 

同じ横浜の地に 眠る多くの御霊に・・・合掌m(__)m

 

 

★最近、横浜の気になることを調べてくれる・・・「はまれぽ」というサイトができました。

さすが! ここでも取り上げられていました~ http://hamarepo.com/story.php?story_id=358

 

 


閲覧数3,683 カテゴリ横濱物語 コメント0 投稿日時2011/11/07 22:45
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