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2008年02月22日(金) 
高校生になったばかりの頃だと思うけれども、「マセた」級友に薦められてクロード・ルルーシュ監督の「男と女」を観たときは、「鮮烈」だった。「男」と「女」のことなど爪の垢ほども理解していない「子ども心」に衝撃を受けたのだから、その映画はやはり当時自分にとっては、「凄かった」に違いない。その時から、映画は監督や俳優や筋書きや音や映像や、その他「数え切れない」要素で成り立っていて、またその時だけの巡り合わせ(幸運)で「出来上がった」のだということを感じるようになった、気がする。フランスとボサノバの出逢いやスピーディな車と理屈に合わない男

閲覧数5382 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2008/02/22 13:48
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2008年02月18日(月) 
池波正太郎の代表作は、いわゆる「真田もの」を別にすれば、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「藤枝梅安」の三シリーズだろうけれども、サラリーマンをやっている頃「人」のマネジメントに手頃な教科書がなかったので、動いてくれる部下の人数に合わせてこの三シリーズの主役のマネジメントの仕方を参考にして、「面白がって」いた。「鬼平」は数十人以上、「剣客」は数人から十人、「梅安」は二、三人のプロジェクトという風に、まことに参考になった、と思っている。この三シリーズの主役には常に「主要且つ重要な」部下(友人・家族)たちがいて、主役を支えているし、主

閲覧数4395 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/02/18 16:35
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2008年02月13日(水) 
生まれ故郷の四国の小学校の夢のような思い出で、そんなことあったのかどうか自信がなかったけれども、インターネットで調べているうちに鮮やかに思い出されてきた。その頃M君といういわゆるガキ大将がいて、私も彼のことがハナモチならなかったので、「決闘」することになった。勝負は「アッ」という間について、私は彼にたちまち組み伏せられて、「泣かされて」しまった。その後、担任の先生のとりなしで「握手」をしたが、M君はそれからなぜか私のボディーガードのようにいつもそばにいてくれて、彼がいる限り他の「不良」との喧嘩の心配がなかった。あるとき有名な屋

閲覧数2072 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/02/13 19:48
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2008年02月09日(土) 
サラリーマンをやっていた頃、まっすぐ帰るのが嫌で立ち寄っていた店のひとつに、常磐町の「パリ」があり、確かにマティーニは「極上」だった。先代のママがやっていた頃で、あまりに美味いので三杯目を頼むと、「あなた、大丈夫?帰れるの?」と言われたが、自宅には歩いて帰れるし、全く酔っている気もしなかったので、負けずに飲み続けた。そのママからその店の由来やなぜか日本郵船の名が入っているグラスや後ろのテーブル席には座ってはいけない話や、あれやこれやの「横浜とパリ」の話が面白かったので、ずっと立って飲んでいることも忘れた。マティーニには、パール

閲覧数4651 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/02/09 17:11
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2008年02月03日(日) 
雪を観ると、京都を思い出すのはなぜだろうか。京都の「良さ」は、雪の降る冬や春にとどまらず、夏や秋にもそれぞれに「風情」があるのに、ずっと昔に見た、雪に埋もれる金閣寺の絵葉書が、未だに私を「捕らえて」いるのかも知れない。京都を愛した川口松太郎の「古都憂愁」を読んで、友人たちと連れだって祇園を「覗き」に行ったのが三年前で、街も人も「芸」と「術」で彩られた空間を愉しんだ。溝口健二が監督した映画「祇園囃子」も川口松太郎の原作だがこの古都の美しい「うらおもて」を描いていて、確かに「日本」の人間がいて、日本はこの古都を「失ってはならない」

閲覧数2073 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/02/03 13:14
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2008年01月28日(月) 
つい最近のことだと思っていたのに、もう三十年近くも前のことになるのだと思ったTV番組のひとつに、カール・セーガンが創り自らも出演していた「コスモス」がある。その頃テレビは、ハイビジョンでもデジタルでもなかったが、その映像を観たときは衝撃的で、私たちにとって「宇宙の広がり」は頭の上をはるか遠くまで想像するのと同様に、自分の身体の中の微細な細胞の「果て」にも「宇宙」が広がっているのだということを教えられた。セーガンは、主にこの宇宙には人間以外の生物が必ず存在するということを、その後の映画にもなった「コンタクト」でも言いたかった、のだと

閲覧数4702 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/01/28 00:30
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2008年01月23日(水) 
「元町」を歩いていると確かに愉しいけれども、「伊勢佐木町」を歩いていると「落ち着く」という気分の違いがある。三島由紀夫は傑作「午後の曳航」で「元町」を描き、大仏次郎は「霧笛」という小説も映画も残したけれども、霧笛楼という「元町」のレストランに自分の名残りを留め、それぞれが似つかわしい。しかし、「元町」と「伊勢佐木町」とどちらが「新しい」かというと、私なりには「伊勢佐木町」の方が「新しい」ように思え、「今」の横浜を感じる。数年前に歩いた頃よりもいっそう「外国語」が溢れ、限りなく「多国籍」になってゆく街が、関内の外国人たちと共に栄

閲覧数4510 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/01/23 17:59
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2008年01月19日(土) 
「おふくろさん」の歌詞の改作で森進一を叱っている川内康範は、私たちの世代では、「月光仮面」の原作者以外の何ものでもない。今から思うと「奇妙」としかいいようのないコスチュームで、白いバイクに乗りどこからともなく現れ、「どくろ仮面」や「マンモスコング」を相手に一人で闘う。途方もない筋書きなのだけれど、「まぼろし探偵」や「少年ジェット」、「鉄人28号」にしてもその筋書きは「非現実的」以外の何ものでもないが、子どもの「世界」はたちまち主人公たちと共に「現実的に」拡がる。「夢中」というのはそのことで、映画も芝居も生きている「現実」とは別(私

閲覧数2063 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/01/19 21:19
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2008年01月16日(水) 
「勝ち負け」を気にし始めると、何か「都会的な」匂いを感じ始めるのは、私だけだろうかと思う。人が集まって優劣を競い、「勝つ」ことの満足を得て、自分の立場を確かめる。むろん田舎でも「勝ち負け」はあり、田舎で「勝ち」を収めると、より人の多い「都会」に出て、さらに「勝ち負け」を続けてゆく、ということが自分のこれまでにもあった、ような気がする。それをその人の「進歩」というと、ただ「勝つ」ことが「進歩」になり「負ける」ことは「退歩」ということになる。ところが人生よくしたもので、反省というのは「負けた」ときにしか訪れなくて、多くはその反省を

閲覧数7559 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/01/16 15:11
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2008年01月13日(日) 
A.マッケイの「トーマス・グラバー伝」を読んでいて、以前イギリスの会社にいた頃のことを思い出した。マネジメントの人たちは、当然にイギリスから派遣されていて、日本での契約期間が終わると多くは米国や香港や中近東の、関連子会社のある他国へ「流れて」行った。その様子を見ていると、いっこうに自国に帰ろうとせず、「旅」を果てしなく続けていくように見えた。イギリスといってもいわゆる「連合王国」を一口には言えないが、なぜか私にはその「国」の人たちの、なにか「共通の」流れ方が目についてしまった。グラバーも日本人と結婚し、家族を日本で「創り」、日本で

閲覧数4472 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/01/13 21:43
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北埜 里一さん
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古くて新しい味わい深い邑(まち)、横浜を私たちの故郷にしたい。
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