■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
http://sns.hamatch.jp/blog/blog.php?key=21346
2009年11月22日(日) 

私の友人が、元町~山手の汐汲坂の途中でギャラリーを開いています。
ギャラリー「あいお☆らいと1223」 (みなとみらいのワールドポーターズに移転しました)
http://www9.ocn.ne.jp/~aiolight/

今年の夏、一人のオランダ人の男性がやって来ました。
「元町・百段公園を知っていますか?」と道を尋ねに。
友人は片言の英語で近くの百段公園に案内して・・・
そして、彼がどうして日本にやってきたかを知ることになります。


横浜開港1859年以来、攘夷派の武士による外国人の殺傷事件が
相次ぎました。
有名なのは「生麦事件」、「井土ヶ谷事件」などですが、
他にもロシア士官、フランス領事館で働いていた中国人、
そして万延元年に本町通りでオランダ人船長のデ・フォスとデッケルの2人が、
滅多切りにされて即死しているのです。
彼が自国オランダで手にとった一冊の本の中にそのことが記されていたそうです。

今年は長崎とオランダの貿易が始まって400年という年なので、
日本とオランダの繋がりを個人的に調査すべく、日本に来たわけです。
彼の名はミッシェル☆大天使ミカエルと同じスペリングなので、
皆はミカエルと呼ぶことに。
山手には、妖精・天使伝説というのがあって、
「あいお☆らいと」には、天使関連のものが多々あるのでした。

その後、彼は秋にもやってきて・・・
その殺傷事件のことを色々と調べました。
開港資料館や中央図書館や生麦参考館にも足を運んだそうです。
しかし、「どうして殺されたか?」という彼の疑問へのアンサーは
「外国人だったから」ということなわけです。
彼は殺された二人とは血縁関係にあるわけでもなく、本で知っただけ。

そして、またまた今月もミカエルさんはやって来ました。

今回は私の友人の手助けで、
元町の厳島神社の協力と外人墓地の協力の下、
山手外国人墓地にある二人のお墓を 何時間もかけてお掃除しました。
(残念ながら私は参加できませんでしたが)
山手の外人墓地にあるお墓の中でも、この立派なオランダ人のお墓は
最も古いそうです。
近くにあるロシア人のお墓は、震災で倒壊しその後修復されています。

長年の風化で苔むしたお墓



本人は梯子に乗って、そして地域の方々もお手伝いしてくださったそうです。





そして・・・ すっかりきれいになりました。


協力者は縁でつながり、
慰霊碑と殺傷現場に解説プレート(英語、オランダ語、ロシア語、そして日本語)が、
四ヶ国語で設置されるように願って動き始めました。
中区本町通りのオランダ人が殺傷されたごく近くで、
その前年にロシア人(外人墓地にお墓がある)も二人殺傷されているのです。
なので、ロシア語でも解説がつくように。
地元新聞社も全面協力してくれるそうです。
本当に、嬉しそうなミカエルさん☆ 彼の願いが叶いますよう。

どうしてそんなにこの事件にコダワルノ?って思う方が続出する中、
彼は一言・・・「ミッション イン ポッシブル☆」と言い放ちました!


来年2月、オランダ人の命日には、皆で現場の本町にお参りに行き
内輪でセレモニーを行うことになりました。


閲覧数4,371 カテゴリ横濱物語 コメント13 投稿日時2009/11/22 10:31
公開範囲外部公開
■プロフィール
濱のリリーさん
[一言]
故郷よりも横浜での生活が長くなりました~ 日々、仕事で プライベー…
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み