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2008年05月01日(木) 
以前この日記(38)で、川内康範氏と月光仮面役だった大瀬康一氏のことを思い出して、一度横浜にいるという大瀬氏の近況を知りたいと思っていたけれども、その後川内氏が4月に亡くなって先日の産経新聞に大瀬氏が「顔はどくろ仮面だが、心は月光仮面」(?)であった「川内のおやじ」のことを語った記事が出ていた。曰く、「(川内さんは)人間という不気味で複雑な存在、その人間がつくる不条理ともいえる社会の本質を全身で感じつかみ取り、独自の哲学を形成してい」て、「自分が「正義」そのものであろうとしたわけではなく、「正義の味方」であろうとした」と。思いがけないほ

閲覧数4474 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/05/01 13:17
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2008年04月23日(水) 
津島美知子「回想の太宰治」と太田治子「母の万年筆」を続けて読んで、複雑な気持ちになった。津島美知子さんはいうまでもなく太宰治の奥さんで、「天才」と言われた太宰治との生活の思い出を、女として妻として、淡々と、ときには「冷静に」男として夫としての太宰を見つめていて、太宰の「弱いところ」も見逃していない。太宰は山崎冨栄という人と心中をしたが、津島美知子さんは彼女のことも自分以外の女性のこともその「回想」にはほとんど書き残していない。太田治子さんは、太宰の代表作のひとつ「斜陽」のモデルになった太田静子さんという人と太宰との娘で、治子と

閲覧数2329 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/04/23 02:19
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2008年04月15日(火) 
大学生になったばかりの頃当然に貧乏で、東京から四国に帰るのに新幹線に乗れずに夜行の寝台列車に乗ったことがあり、眠れなくて食堂車に行きコーヒー一杯でねばっていると、何席か向こうに八代亜紀が独り(だったと思う)で食事をしていた。地方巡業の途中らしかった。手に何も持っていなかったので、ペンを借りてテーブルの紙ナプキンにサインをしてもらったことを覚えている。「これに?」と言われたけれども「すみません。何も持っていないので...」と言うと、気持ちよくサインをしてくれた。それを何年間か「宝物」にしていたけれども、いつの間にか失くしてしまった。

閲覧数2174 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/04/15 02:37
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2008年04月08日(火) 
以前東京に通勤していた頃、そろそろ「大江戸」からも離れたいと思っていたけれども、どうしても離れ難かったところに「銀座」があり、とりわけ「居心地のいい」バーには「故郷」のような馴染みがあり、そのうちの一軒が「銀座ガスライト」だった。井口法之さんというバーテンダーがいて、私にとって彼のつくるカクテル「ニューヨーク」はどこの「ニューヨーク」よりも一番だった。そうこうしているうちに、その井口さんが昨年日本バーテンダー協会の総合優勝者になり、今年はプエルトリコの世界大会に出るということになった。彼の「ニューヨーク」をもってすれば、「イイ

閲覧数2120 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/04/08 20:06
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2008年04月04日(金) 
「倉廩(そうりん)実ちて 則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち 栄辱(えいじょく)を知る」『管仲』
この言葉を簡単に「衣食足りて礼節を知る」と教わったものだから、私たちはもっと簡単にして、衣食足りて「から」礼節を知ろう、と貧乏だった若い頃はやみくもに「衣食」を求めて、「礼節」などは後回しにして「突っ走って」いた、気がする。今になって振り返ってみれば、確かに余裕も何もない頃は、それが「あたり前」と思っていたけれども、もっと考えてみれば、「量」と「質」を比較するように、もともと比較できないものを無理に「比較」して「あとさき」にしていたよう

閲覧数1767 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/04/04 16:27
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2008年03月26日(水) 
教室に通ってくる四歳の女の子のAちゃんが近づいてくると、その泣き声でよく分かる。お母さんに付き添われて、入ってきたときにはその泣き声は頂点に達していて、「エイゴがイヤダぁ」としばらく続き、トイレに行ったり、洗面所で顔を洗ったり、数分かけてお母さんと「協議」をしたり、「じゃあ帰ろうか?!」とお母さんが「キレ」かかると、その泣き声は「(帰るの)イヤダぁ」とまた一層大きくなる。Aちゃんの肩からはお母さん手製の泣いたとき涙を拭く「専用の」タオルが紐でぶら下がっていて、Aちゃんはそのタオルで自分の涙を拭きながら泣き続ける。そうこうして教室に

閲覧数1819 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/03/26 15:24
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2008年03月20日(木) 
時々、頭の中に訪れる詩の一節に「たよりになるのは くらかけつづきの雪ばかり 野はらもはやしも...」というのがあり、自分では何年もそれが、伊藤整の美しい詩集「雪明りの路」の一節だと思っていて、最近探してみるとどうしてもない。この言葉を頼りにインターネットで探すと、宮沢賢治の「春と修羅」に入っていることが解った。ほとんど読むことのない宮沢賢治の詩が、いつどこで自分の頭の中に入ったのだろうか。同じように、自分の車の中でかけていたソニー・ロリンズの一節に反応した人がいて「これだよ!」と大きい声を出したが、その人も自分の頭の中で鳴り続けて

閲覧数4592 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2008/03/20 15:56
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2008年03月14日(金) 
CATVで録りだめしておいた向田邦子のドラマシリーズで物語をいくつか観て、全くいい映画やドラマが「幸せなめぐりあい」で出来上がっているのだということを実感した。原作は向田で、演出や俳優はそのたびごとに違うのだろうけれども、たまたま観たこのシリーズの顔ぶれは久世光彦演出、俳優は田中裕子、加藤治子、小林薫、とほとんど同じで、そして単発で宮沢りえや森繁久彌まで出ていて、なんともいえない「滋味のある」ドラマシリーズになっている。特に「あ・うん」や「風立ちぬ」では、向田や久世が「人間」や「男と女」がもつ「避けられないもの」をきっちりと押さえて

閲覧数5317 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/03/14 13:01
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2008年03月07日(金) 
曙町の「荒井屋」の二階で牛鍋を肴に日本酒を飲んでいたとき、仲居さんに「牛鍋」と「すきやき」の違いについて聞いたけれども、少し酔っていたのでその「説明」がよく解らなかった。曰く、「すきやきは、「焼き」ますし「牛鍋」は「鍋」ですし...」と聞いて、自分の酩酊が過ぎたのかとも思ったが、以前行った末吉町の「太田なわのれん」でも確か同じような酩酊の中で、同じようなことを聞き、同じような応えを聞いたような気がして、不思議に思っている。いずれのときも気分のいい酩酊が崩れそうで、それ以上の「追求」を止めていてそのままになっているが、何か書物や

閲覧数4621 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2008/03/07 20:12
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2008年03月01日(土) 
十数年前のことだが、会議で一週間程シドニーに行ったことがある。その時たまにはホテルの外に繰り出そうということで、近くのスタンドバーで飲っていたところ、夜中の12時を既に過ぎているというのに若い女性を含む数人がそのバーに訪れて、和やかに飲んで三々五々と帰っていった。むろん若い女性も一人や二人で何の懸念もなさそうに帰っていく姿に、「この街はそんなに安全なのか」と思ったものだが、その頃のニューヨークでは全く考えられなかったことで、人がそれ程混んでいない街で、その光景を見て「ほっと」した気持ちになった。近頃ではニューヨークも変わったらしく

閲覧数4509 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2008/03/01 17:47
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北埜 里一さん
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古くて新しい味わい深い邑(まち)、横浜を私たちの故郷にしたい。
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