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2009年09月12日(土) 
昔、よく仕事もしたけれどよく酒も飲んで、酒場で長い時間を過ごしていた頃、その酒場の女主人が、自分がホレタ男が結局自分にナビイテくれない、という愚痴話をきいた。その話に対して、少し揶揄を込めて「ヒトは所詮好きな人の背中を見て生きているからねぇ」と、相手の気持ちも考えずに軽く言い流したところが、その女主人、イタクその言葉が気に入ったと見えて、その後何度か逢うたびに私にその言葉を「投げて」は自分にも言い聞かせるように、つぶやいていた。あれから、その女主人がホレタ男と一緒になったということは聞いてはいないけれども、かつて見せていた「絶

閲覧数3429 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2009/09/12 02:11
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2009年08月04日(火) 
サラリーマンになってしばらくして、肩書きを貰って初めて二人の女子社員を部下にした頃を思い出す。二人のうち一人の娘は商業高校を出たばかりでこちらは高校の先生になったような気分で毎日接した。もう一人は、年はそれほど変わらなかったように思うけれども、やはりフレッシュでサッパリした可愛らしさをもったTさんという娘で、社内でも「ひそかに」人気があった、ように思う。あるとき私たちの課に若手の営業マンのO君(だったか)が現われ、Tさんの傍らに立つと大きい声で「今日、食事をしませんか!」と(武骨に)言った。私たちは一瞬何が起こったのかわからず、し

閲覧数1327 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/08/04 17:49
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2009年06月29日(月) 
「あんな者、どこで泊るやら分るものでございますか、旦那様。・・・」と、峠茶屋の婆さんに軽蔑の言葉でその「身分」を示唆された旅芸人の一行との交情を描いた川端康成の「伊豆の踊子」の中で、若い主人公にとって伊豆という場所が「特別」のものであったには違いないだろうけれども、その場所が、通りすがりの親しい人たちとの「一時的」な場所であっても、なぜかその場所は「人」を離れて「特別な場所」になる。それは、旅に出てみればよくわかることで、思い出に残る場所は、例外なくその場で逢った「人」たちとの思い出が「もと」になっているけれども、私たちはそれ

閲覧数1345 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/06/29 01:20
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2009年05月22日(金) 
火付盗賊改方長官長谷川平蔵は、自分が「弟」と目をかけていた滝口丈助が大身旗本石川筑後守の三男坊源三郎の姦計に掛かり惨死した後、自らの「役目」も忘れ丈助の「敵討ち」として、源三郎を切って捨てる。その後、公用を済ませた後、「上司」の京極備前守に酒の相手を命じられる。以下、その「風景」。

「ときに・・・・」
ふくみかけた盃を置き、備前守高久が、
「三月あまり前のことじゃが・・・・」
「平蔵も耳にしていよう。石川筑後守の三男・源三郎が広尾ヶ原で斬ってタオ(エイという字)されたという・・・・」
「はい」
「斬った相手は、ついに見つからぬ」

閲覧数1644 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/05/22 03:25
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2009年05月03日(日) 
「最近のニュースでは、横浜方面の工場地帯に小学生や幼児が急激に小児ゼンソクにかかるのが大量になって来たそうです。「横浜ゼンソク」という特別の病名もかなり以前からありましたけれど、最近は急上昇で小児ゼンソクが増えて来たようです。バイ煙を何とかしてもらわないとたいへんなことになります。小児ゼンソクでも、発作をとめるにはかなり強い薬物を使います。そうしたもののからだへの害を考えると、幼児や小学生は、また空気のよいところに疎開しなければならないのです。笑いごとではないのです。横浜のマリンタワーの上から鶴見、京浜地帯をこころみに見てごら

閲覧数4018 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2009/05/03 13:57
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2009年03月23日(月) 
勝ち負けは別として、監督自らが「WBCの日本チームは、イチローのチームだから」、ということを公言して誰もがそのことに納得をして、このイベントに参加をしている。勝ちを「獲りに」いくというようなことをいえばそれが「合言葉」になって、「結集」する。それがビジネスの場なら「リーダーシップ」というのかも知れないが、誰もが納得ずくでその流れに従う、ような「誠実な意欲」というものがその言葉や態度に溢れていて、人を(特に日本人を)惹きつける。しかし、当の本人にしても、監督が「イチロー」の、と言ったときの「イチロー」は、もう本人である「イチロー

閲覧数1485 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/03/23 14:12
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2009年02月16日(月) 
NHKのTV番組で「新日本紀行ふたたび」というのをやっていて、昔小学生のときに見ていた「新日本紀行」を一部再編集して何十年も前に登場していた同じ人がまた登場して、「歳月」の流れを身に沁みて感じる、という「体験」ができる。「歳月」は残酷なもので、昔青年だった人が老人となっていて、「あの頃」を振り返るけれども、果たして、昔のフィルムで「自分」を見せられても他人は自分だと見るだろうが、自分は「自分」として見ることができるだろうか...などと考えてみる。先日も古い香港の友人が横浜に立ち寄って、二十数年前に私と北京の一角で一緒に撮った写真を持っ

閲覧数1470 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/02/16 20:07
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2009年01月27日(火) 
教室に「国語」と「算数」を学習しに来ている小学1年生の女の子のMちゃんは、こちらが「間違い」を示唆すると「直ちに」理解をして、直したこと「以上」の内容を理解しようとする。別のところの「読みあわせ」をしていても、手は先ほど直した「漢字」の書き直しを同時にしている。その漢字は二年上のもので、苦にしないばかりかその複雑な書き順をむしろ「愉しんで」いる。子どもの頭の中には、「学習指導要領」のそれぞれの「学年別漢字配当表」などないことはいうまでもない。スポンジが水を吸い込むように自分に「触れた」知識のかけらを当然のように全身で「吸収」する

閲覧数2229 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/01/27 21:44
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2009年01月12日(月) 
中学生の頃の国語の先生はS先生で、新任独身で溌剌としていてまるで「二十四の瞳」の大石先生のような雰囲気で私たち「田舎の」生徒たちに「国語」や「文芸」を教えていた。乱暴な「悪がき」もその先生にだけは、「まともな」受け応えをしていたことを、思い出す。私はその頃、バレーボール部で忙しかったが、「初めて」自分の小遣いで夏目漱石の「三四郎」と国木田独歩の「武蔵野」二冊の文庫本を書店で買い、S先生の課題である読書感想文に「感想」を書いた。その頃から多少ヒネ始めていた私は、「三四郎」より「武蔵野」の方が味わいがあって好きだ、というようなことを書

閲覧数1734 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/01/12 20:15
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2008年12月31日(水) 
昨日あるところで知り合った人に、「お仕事はどちらの業界ですか」と尋ねたところ、その人は少し口ごもって、「ええ、フツーの業界です」と応えた。聞けば聞くほど面白い応えかたがあるものだと、今でも反芻している。おそらく言いたくなかったのだろうが、そう応えられて納得することを期待されているようで、むろんそれ以上は聞かなかったけれども、「フツー」だから気にしないでくれと言われて妙に納得しそうになるほど、近頃「フツー」でないことがいつも期待され、その方がむしろ「評価」される場合もあるのが、「フツー」なのかも知れない。確かに、いいことでも悪い

閲覧数1711 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/12/31 17:34
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北埜 里一さん
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古くて新しい味わい深い邑(まち)、横浜を私たちの故郷にしたい。
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