真言宗補陀洛山西方寺観音堂扁額(釈文) http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/station/2017/saihouji/ 2014年8月頃西芳寺(新羽)をつづき交流ステーションのメンバーと訪ねた時に伊藤増見住職にお会いして「港北の昔話」の編集時の話、その当時の様子。また茅ヶ崎八景のことなどをお聞きしている時に、ここの観音堂に額が掛かっている。ということで観音堂(2017.11市の重要文化財に指定され、歴博で今公開されている十一面観音像が安置されている)の額を伊藤仁海副住職と一緒に外して、写真撮影をさせていただきました。その後何度か読んでみましたが、新羽地域の人たちの俳句を奉納した額であること。明治時代のもの等は判りましたが、それ以上は判りませんでした。 そこで「十一面観音像」も横浜市の重要文化財にも成ったことだし、解読してみようと試みましたが、力いや能力不足で読めない字が多々ありました。そこで古文書に精通している知り合いにお願いして読んで貰いました。 通常読んでいる古文書と違って、俳句、そしてひらがなが一杯入っているので、精通している方にも読めない字があり、一応判った範囲でまとめました。お家流は候文等定形ですが、俳句は??ですね。ただ誤字、間違いもあると思います。 明治21年4月頃の額です。当時地方の文化人知識人の間に俳諧が流行していてこの地域においても同様であったという事だと思います。大熊、新羽などの地名が書かれているので俳号は地域の俳句雑誌、石碑など(残っていれば)みれば実名を確定出来るかもしれない。また現在42首の俳句を選者2人で選らんいますが、赤丸が残っていて後3人を選ぶ予定だったのでは?提出が遅れたのか?ちょっと面白い。 |