これは、大学生の時、
サガン『悲しみよ こんにちは』朝吹登水子 訳 を 昭和30年6月25日 発行 現在 平成19年6月10日 142刷
を読み、「夕方」「川辺で」「蝉が鳴いていた。何千匹も」 はあり得ない。 きっと、仏和辞典には、「蝉」と訳語があてられていたのだろうが、
◆これは、「こおろぎ(蟋蟀)」としか考えられない。
ずぅ~~~~と、1955年から 2008年の河野万里子による新訳 発表まで 朝吹登水子 訳が、50年以上、君臨していたわけだが、
だれも、この「蝉」の不可解さに疑問を呈しなかったのだろうか?
(自分は、大学生の時に、気づいたが出版社に連絡をするなどの アクションはとらなかった。)
◆何年かして、図書館で、『悲しみよ こんにちは』の原文と 大きな仏和辞典 とを見比べてみた。
確かに、仏和辞典には、「蝉」という訳語が載っていた。
◆テレビで 『悲しみよこんにちは』 (原題:Bonjour Tristesse1957年製作/アメリカ) を放送した時には、これを観て、確かに「蟋蟀」であることを 確認した。
★自分は、「夕方」「川辺で」と記憶していたのだが、
実際は、「夕食後」「テラスの砂利の上で」だった。
pp.9-10
夕食後、私たちは毎夜するようにテラスの長いすに体をのばした。 (中略) けれども私たちはまだ七月の初めに入ったところで、星は動かなかった。 テラスの砂利の上で蝉が鳴いていた。きっと何千匹もいるのだろう。 暑さと月に酔って幾夜も幾夜もよっぴてこのようにおかしな声で鳴くのは ----- 蝉はただ一方の翅鞘をもう一方の翅鞘にすりつけるものだと 聞かされていたけれども、私はそれが発情期の猫の声のように 本能的な喉から出る歌だと信じたかった。 |