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2014年04月04日(金) 

オーストラリアで出版された『夢はかなう』の表紙


水泳界のスーパースター、イアン・ソープ氏が

1月にうつ病で措置入院が報道されたことには
たいへん驚かされましたが、
昨年10月に出版された自叙伝『This Is Me: The Autobiography』で

アルコール依存とうつ病に苦しんでいたことを告白していたそうです。
一方、全盛期に出版されたのが『夢はかなう』。
(原題:Live Your Dreams、2002年11月。日本での発行は2003年4月)
21歳の勝利の哲学は若者に感動を呼ぶだけでなく
ビジネス書や人生訓として
老若男女問わず感銘を受けるような
金言名言がちりばめられています。

 

この2冊の言葉を比較してみました。

 

 

 

 僕が深刻そうに見えるのは、

 恐らく集中しているからだろう。

 

 

私が人生において長い間、

うつ病に悩まされながら 

過ごしていたことは 

家族でさえも気づいていない。
それは 

隠すべき自分の恐ろしい闇だ。

 

◆秘密主義

イアン・ソープ氏が破滅的な精神状態に陥り、うつ病を発症させたのは10年以上前。
病気のことも、落ち込んだ気分を紛らわせるためのアルコールのことも、
チームメイトに隠し通すことにした。
「うつ病は性格の欠点」だから黙っていなくてはいけないと考えたらしい。

2010年9月、復帰を決意したソープ氏は、同じように秘密主義を貫く。
周囲に気づかれないよう8つのプールを使い、密かにトレーニングを始めた。
そのことを2011年2月、復帰会見で告白している。
プレッシャーを最低限にするために、会見の数週間前まで家族にすら打ち明けなかったという。
2014年1月、うつ病とアルコール依存症の治療で入院したとの報道を、
ソープ氏のマネージメント会社スポー
ツ・アンド・エンターテインメント社は
「肩の手術のための入院」と即座に否定している。だがその直後に一変し、
「病院は、彼がうつ病の治療を受けることを強く提案した。
今、起きていることはそれだけだ」と認めた。



 
「精神的なつらさ」と

 「肉体的なつらさ」は別のものだ。
 「精神的なつらさ」は
 工夫次第でいくらでも楽しいものになる。
 僕はいつでも、
 少しでも楽しくなるように努力している。

  

 

うつ病は避けられないもので、 
その感情人工的な方法で、 
他に転嫁するしかなかった。 
それがアルコールだった。 


 

◆死の回避行動

不眠に悩むようになったソープ氏は、唯一の解決方法が寝酒だったとを告白している。
飲酒は毎晩ではなかったが、2002~2004年、アテネ五輪のトレーニング期間が酷く、
自殺を考えたこともあったという。
そんななか、アテネでは見事400メートル自由形で金メダルを獲得。

しかし、徐々に成績が低迷しはじめる。
2006年5月に受けた薬物検査でひっかかり、2006年11月、意欲の減退を理由に
24歳で現役を引退。ところが競技引退後の生活に適応できずに悩む。

さらに2010年2月、リーマンショックがソープ氏に追い打ちをかける。
現役時代は多くのスポンサー契約、引退後はさまざまな事業に手を広げていたが
友人の一人は
ソープが家計をきっちり整理していなかったことは確かだ。
どうなっているのか分からない書類がたくさんあったし、自分の金や投資が
どこにあるのかも知らなかった。イアンはこれまで水泳一筋に生きてきたから
実務になるとからっきしだ」と、経済的な立て直しを助けた。

それからわずか半年で、密かに現役復帰を決意する。
FINA競泳ワールドカップ東京2011で復帰の理由を尋ねられたソープ氏は
「泳ぎたいからという一言に尽きる。かつてのような姿に戻ることができると思うし、
また、どこまでいけるのか試したい」と答えている。
幸せでシンプルな人生を送りたい」と望むソープ氏だが、
選択肢が少ないことは決してシンプルではない。唯一の解決方法へ突き進む姿は、
まるで命を脅かされたときに命を守るための「死の回避行動」のよう。
結果を得られるまで際限なくくり返され、そして別の可能性を失い、選択肢を狭める
悪循環
にはまってしまう。


経済的な打撃から救った友人は入院時の状態を「たしかに彼の状態は深刻だった
イアンは素晴らしい人間だが、自身の問題を認識することに苦労している」と語っている。

 

 

 

 自分が負けたと思わない限り、

 負けることはない。
 その出来事を決めるのは自分だけなのだ。

 

 

 

 

やっとわかった。 
水には勝てない。 

 

 


◆バーンアウト(燃え尽き)

8歳で水泳を始め、オーストラリアで史上最年少の14歳で代表入り。
ソープ氏は、オーストラリアで最も輝かしい五輪選手となった。
うつ病とアルコール依存に苦しみながら、シドニーとアテネの2大会で、
オーストラリア人選手最多の5つの金メダルを獲得。
現役時代に泳いだ総距離は地球4周を超える。


2001年、NYを旅行中、世界貿易センタービルに向かう途中で
カメラを忘れたことに気づいて、ホテルへ戻る道すがら、同時多発テロが勃発。
そのときの経験を「人生観が変わった。それほどショックだった」と振り返っている。

事件後は何をしていても、ほかに大切なことがあるのではと自問自答するようになった」。

意欲の減退で引退した4年後の大損失を出したリーマンショックでは
「私のスポーツ人生でもわかるとおり、
私の強みは逆境から再起する粘り強さだ」と語り、2010年9月に現役復帰
2011年11月、FINA競泳ワールドカップ東京の会見で、

「5年間プールから離れ、『もう二度と泳がないのではないか』と思った時期もありました
しかし、プールに戻りたい気持ちが強くなり、今回の復帰に至りました。
まだ自分の中に能力があるか、強いメンタルがあるかを考え、
スイマーに戻るということが復帰への大きなモチベーションになったと思います」。

が、結果は男子100m自由形で予選12位、男子100mバタフライで予選26位と振るわず。
ロンドン五輪の代表選考から漏れた。

 

 

 

たしかに、『夢はかなう』はカッコイイのですが
『This Is Me』で、彼はありのままの自分を受け入れることで

 

ようやく解放されたように感じられます。

皮肉なことに病気は、
スーパースターであり続けるため
苦しみを誰にも打ち明けず、孤独の中で自分を苛める
という悪循環を断ち切り、
自分のありのままの姿をそのまま受容するきっかけになっています。

もしかすると、さまざまな事業に手を出して、
火の車になるだけでなく
自分を自分で責め続けて壊してしまうことを

止めさせたのは
病気だったのかもしれません。
病気にはそんな側面があります。

もちろん、今は治療に専念されているでしょうが、
負けを認めない人から勝てないことを知る人に成長した
ソープ氏だからこそ、
きっと活躍されることでしょう。

 

復活をお祈りしています。

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数1,704 カテゴリニュース コメント0 投稿日時2014/04/04 21:23
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